抜けのよさ

デザインという言葉が持つ抜けのよさ。

日常的に深さを感じる言葉がなかったのです。
だから、免許を取ってからの何年かは
日々学問、学術、研究、論文、それがすべてと。

自分達の為の「コレ」って感じ。

だから、抜けてる感じは持っていなかった。

何かこぅ、詰め込んでしまわなきゃ…という強迫観念。
仕事は遊びではない、という立派な頑固さ。
正当化しつつも、何か違うんだよな…という自分確認。
でも、確認できちゃうとPTじゃないような不安定さ。

時は流れて、時代も変わって
積み重ねた仕事も、目新しさから自動的な空気へ。

立派なものがすべてでないと感じるようになって
教えるコトの大切さや、ビジョンを描くコトの重要さを
感じるようになったら、立派に疑問を持つようになった。
立派さを否定はしないんだけど
立派のバランスを保つ何かも必要だと思うようになった。

誰かの為の「ソレ」って感じ。やはり、かっこよさかな。

どちらが欠けてもダメなんだけど、今は片方が軽すぎる。
それに気づいた時から今のスタイルに向かった気がします。

軽すぎるから、重さを揃えていく為に何をすべきか?
そんなもの解りません(笑)何をすべきか?なんて
考えてるウチは解らないコトなのでしょう。

だから、今出来るコトで、少しずつ夢を具現化する感じで
介護予防デザイン研究会発足。

デザイン…はやったコトないんだけど
今自分の考えを中にある抜けのよい言葉はデザインなんです。
アカデミックとか、テクニックとかに対抗意識もありません。
とにかく、初めてですがデザインって言葉にこだわってみる。
そんな感じで介護予防デザイン研究会誕生です。

今、横にあるもう一台のPCで続きやってます(笑)

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