未熟でも、未完成でも、価値はあると信じれるモノだから、人前に立つ時のメッセージになるんだ。

究極に疲れが溜まった状態で、数種の酒を混ぜて飲むと
ジンマシンが出ますよ、皆さんお気をつけ下さい(笑)
今回それがよく解ったので、二度しない様にします(爆)





実は今日はオフクロの誕生日である。
何歳になったかまでは定かではないけれど
いつも心配ばかりかけて申し訳なく思う節もあり
仕方がないので心ばかりの品を買って贈ってみた。





さて、みなさんこにつあーが後半戦に入る。
明日はかなり冷えるらしい。申し訳なく思いつつ
わたくしめは週末、南国沖縄に旅立つコトになってる。
昨日電話した現地は25度、担当はクーラー入れてたらしい。





少し難しい話を書こう。





違うのである。もともとこの概念には大きくズレがあった。
大きな組織が飛びついた先は、国家予算レベルでのソレ。
よってこの概念はそのレベルで話が進んでいったのである。
が…結局それが悲劇を生むコトになった。現場との乖離。
当事者はソレを当事者であると思えなかった世界の話しで
当事者意識が無い世界の仕事を親身に出来るはずもない。




結局ソレは宙に浮く。
それが証拠に僕は今、バタバタしてる訳だ。





実はソレには意味が二つある。
というか、二つあってしかりであり当然なのである。
最初から元々の文書にそう書いてある訳だから
よく読めよって話なのである。





で、よく読んでみた訳だ。





それで僕は二つ目のソレを話すつもりなのである。
自分の役割はそれであり、その反対ではないのである。
反対のソレは陸奥君に任せるとしてソレは
右も左もとても大切な僕らの次の飯のタネなのだ。
うん、恐らく極めて実践的な話になると思いますよ。
おっしゃる通りです。





担保があるかと言われたら
それは僕の仕事じゃないと答えよう。





そもそも疑問なのさ。





基本的に仕組みになっているモノなのにだよ
何故わざわざまた担保設定してくてはいけないか?
それこそ単にマスターベーションみたいなもんだろう。
色々な形でやっていい、と言われているにも関わらず
決まった一つの一番気持ちのいい形を追求したい。
何を快感に思うかは、人によって違って当たり前だ。
だからニーズがあるのであり、ニーズに応えたいのだ。
決まった形を押しつけるコトだけが全てでもないと思うよ。





だからソレは、あらゆるすべての活動に含まれる。
その視点で実行する形があってもいいんじゃない?
そんなメッセージでステージをやろうと思ってる。





人の前に立つ時は、メッセージがなきゃダメだ。





聞いてる人が楽しくなる歌が聞けるから
ツアーは客が入るのである。
週末の南国沖縄は、他のどの土地よりも
そんな風土なんじゃないかなっても思うしね。





勿論、未だもって自分の歌に自信などありゃしない。
満足もしてないし、改良余地もいくらでもあるし
不備だって不足だって、間に合わないコトも多い訳だ。
しかし、自分の歌の価値は信じている。
未熟で、未完成でも、価値はあると信じれるから
人前に立つ時のメッセージにはなると思う。





聞き手というのはそう思うんではなかろうか。





そう思うのは僕だけなんだろうか。





でも、呼んでくれた事実があるってコトはさ
聞きたいって思ってくれた人が居るからだろう。
その人の為だけにでも、いいんじゃないかって思う。





そう、その人の為だけに…ってモノ。





それが一番楽しいのです。

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