本当の様なウソ

昨日仕事中、携帯でテレビをつけていた。


僕は普段あんまりテレビを見ない。
ただ昨日は、仕事は単純作業だったし
事務所も静かだったし珍しくつけてみた。


先生と呼ばれてる出演者が並んで
随分とすっとんきょうなコトを言ってた。
番組の内容はどうでもいいんだけど
先生が正しいと思いこんだその答えってば
テレビの画面を通してどう映る。


本当の様に聞こえるウソは多い。
というか、ある時期までは
ウソではなかったコトが、この瞬間ではウソに。
つまり、今のこの瞬間と、自分の情報が
少しかけ離れているコトに気付かない。
その人、ある意味幸せではあるけどね。
人間ですから、そういう変わり方もある。


僕はこの点にとても気をつけてるつもり。
十分ではないかも知れないけど。
そうならない方がいいと思ったりするので。


人の考えには高低や前後があって
一定の位置に揃わない…のが当たり前。
だからこそ、その最大公約数的な位置に
自分の考えの基準値を置くコトに努力する。
そして前後に標準偏差を持っていてもいい。
そのエラーバーの幅が柔軟性だと思ってるし。
適度なエラーがいいと思っていれば
どの局面でも答えは出せる。
その都度、ちょっと考えればね。


気にしてないと、気付けてないと
知らず知らずにこのエラーバーの幅を狭める。
俗に年を取るとも言う(笑)


どうなんだろ、最近って。
僕の住んでる街は随分田舎で
そんな杓子定規な話で対話する街とは
正反対と思っていたけど、どうもそうじゃない。
環境はまだまだ田舎ですが、意識は都市化してる。


あーすれば、こーなる。
これが最近多いこと(笑)


だから、道の途中の予想外の穴につまづくと
気付かずに落っこちた自分が悪い、という事にならず
「穴を掘った奴が悪い、誰だ」という話になる。
ちなみに、舗装されていない道を歩くとどうでしょう。
凹みや障害物は当たり前で、足で歩くコトを思い出すよ。
つまり、人間の行き来の為だけに舗装された道では
歩く事の大切さを忘れてしまう事すら、忘れる。


僕らは昔、早い時期が一番治るのだと教えられた。
自然であろうが介入しようが、早いが一番と。
最近よく思う。ちょいと空いてから来た人って
一番活動期っぽく変化していく気がしますね。
こちら側の都合の「早い」と「遅い」のタイミングは
向こう側の「前」と「今」って時間の価値と同じかな。
治療でなくサービスなら、果たしてどちらが正解か。


ある時点で輪切りにしてみたら
画一化していた、なんて話なら
その次元の目線はお任せしますので、頑張って。


みんなと先に行ってますね。

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