秩序と無秩序のバランス

等身大以上ってどうなんでしょう。

どうもそのバランスが気になります。
週末もずっと気になったままでした。
という訳で、お休みも書いてます。

秩序立てた話を進めれば
どこかに無秩序が生まれます。
そこに無理がないように
バランスを取るコトが重要かと。

一見揃った格好も、締めすぎるのはどうか。
やはり、長く着れるモノは着心地の良い物。
しかしながら格好は礼儀でもあるから
どこでもかしこでもそれでいいとも思わない。
だから一つの基準が等身大、と思う。

明らかに等身大を超えて言っていいのは神さんだけ。
等身大を超えちゃうとダーウィンの進化論で裁判だし。
毎日が変わらないと思い込んで、翌日も同じで
不変で、視覚で同じにしてしまって、時間を止める。
でも結果生まれるのは秩序立てた無秩序でしかない。
簡単になるはずが難しくなって睡眠がとれなくなる。

寝ないとどうなるか。脳が壊れます。
昼も夜も無い街を見れば一目瞭然で
無秩序が溢れるだけで、中身が消える。

だから等身大の物差しが必要で
バランスを保つ片方の重りが大切だと思う。
色んな意味でそんな意味も持っていると思う。

常に変化、進化するコトが経験主義であり
時間を止める事が、経験主義ではないと考える。
僕が大事に考えるのは等身大の思想です。
それで考えれば、気づきを促すといコトの方が
経験的に正しい選択なのではないかと思うのです。

対象者へのアプローチってのも考える範囲でも
まだまだたくさんの理由づけが必要みたいです。
ふと、昔の仲間が話してた一言を思い出します。
そうですね、からだを使って疲れましょう。

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