忘れる。

忙しさにかまけてではありませんが
やはり忘れるコトはあります。

コードにしていても
毎日の中に埋もれる番号であれば
意識は無意識になって自然になって
がむしゃらに経験を積んでる30代の後半
その最初に残した仕事を片付ける為に
忙しくなった僕にはそのコードは
ホントの意味で日常になっていました。

今日もこんな時間になっていて
まだ仕事もたくさん残っていて
明日も大切な仕事が待っていて

人から見れば、バカタレでも
少し前のガチな頭をようやく柔らかくして
それでも誰かの役に立つ仕事をしてみたいと
素直に思えるようになるくらいがむしゃらに
30代の終盤を息をあげて走ってる。

何の為か?なんて考えていたらやれないし
からだを動かして自分が答えを見つけると
もう忘れそうな前に誓って、今も走り続けて。
それでバカタレと言われるなら
それならそれでいいよ。

忙しさの物差しはそれぞれで
どれくらい忙しいかなんて測れないから
まして見えてないならなおさらで、だから
記憶力を記憶されて懐かしまれるより
僕は、進んでる仕事で喜んでもらいたい。

そう思えるようになったからね。


便利なようで、不便な世の中ですね。

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