デザイン

もう一年も書き続けているけど
このタイトルは、一度も使って無かったな。
僕の意識の中に何度も出てきた言葉。
世間の今年の漢字が「新」ならば
僕の今年の言葉は「デザイン」だと思う。
デザインの勉強は一度もしたコトないけど。


自分のやっているコトに
ちゃんと理由をつけたかった。


PTだから理学療法やリハです、というのでは
不十分な時代の様な気がしていました。
若者や後輩達と語る。違う世界の人と話す。
毎日の身近な人達との会話の中にも
今やっている色々な仕事のコアな所を貫いて
誰しも解る共通する言葉で仕事を表現したかった。


思い返すと、今年はデザインという言葉を
随分と色んな所で使ったなぁ…と思います。
何かを説明する時、会話の最後には必ずつけた。
新しい何かを生み出すイメージではなかった。
グラフィック的な洒落たモノでもない。
繰り返すけど、デザインの勉強はしたことない。


今更ながら僕流のデザイン、それを考えてみた。
そう、僕が追いかけたカッコイイとは何なのか。


「人に見せれるモノ」なんじゃないかな。


デザインの日常で、瞬間スパッと切り取った一枚を
誰かに見せれる、と思える程度のモノや場面を作る。


誰かに見せたいって思いは、本人の中にはいつもある。
でも僕らは、リハ室でそれに応えるコトをしてきたか。
見てるのは自分で、自分の以外の目線を意識したかな。
ゴールにこだわりすぎて、到達までの道のりそのものを
「人に見せれるモノ」にとは思っていなかったかもしれない。
ゴールが「人に見せれるモノ」になればいい、そう思ってた。


僕が思うカッコイイは「人に見せれる」という感覚。
これだけ準備したから、彼らに見せても大丈夫。
これだけの時間と手間なら、お客さんに出して大丈夫。
これだけ整えたなら、リハビリだと言っても大丈夫。
これだけ練って作ったから、世間に出ても大丈夫。
そんな感覚で、今年の沢山の仕事をデザインしてた。


そして、そのデザインのツールに介護予防を使って、
僕とその人との関り感で、カッコイイと感じる場面。
使って頂くコト、選んで頂くコトで、その瞬間々を、
違う誰かが見て、自然にカッコイイ思える空気感に。
各々のプロジェクトを、そんな風に思ってたと思う。
「人に見せれる」そんなイメージで。


品の無い高級や、志の無い立派な自己満足は
見たいとは思わない人の方が多いと思う。
でも、地味でも十二分に作り込んだモノには
その作り込んだ道のりに力がある。
人は、そこを、カッコイイと判断するのじゃないか。
少なくとも僕は、そこを、カッコイイと思うのです。


これからもデザインを勉強する気はありません。
でも、自分の思うカッコイイは実現していきたいです。


もうすぐクリスマス。日本の消費のかき入れ時(笑)
でも考えたいですね。コレを買った!的な消費の足跡と
何かを贈りたい誰かを、そう思える様になった道のりとで
自分以外の違う誰かが見たら、どちらがカッコイイのか。


Happy Merry Χmas!

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