変わりモノ

喋りながら、気づくコトってありませんか?
僕はよくあります。
人に喋っていて自分の考えが整理される瞬間。
本を読んでいてもよくあります。
最近、そういうコトが多かったので
言葉の整理を兼ねて再度介護予防を考えてみましょう。


よく、介護予防=運動、筋トレと思われがち。
…の様な気がします。で、違うと思います、僕はね。
筋トレや運動は介護予防を構成する一つの要素。
無いと介護予防にはならないけど、
それが、イコール介護予防でもないと思う。
何となくみんなが立派な方法論を欲しがった結果かと。


僕が最近よく考えているコト。運動や筋トレやその他で
相手の変化を促すって発想自体が実は的外れで
介護予防という意識と視点を持って、僕らの側が
今までの色んなコトを見直していく、というコトが
介護予防なんじゃないかと思ったりしている。
そうすると、色んなコトのつじつまは合う(笑)


これまでやってきたコトはしっかり継続しよう。
でも、これまでおいてきたコトも見直してみよう。
からだの機能を高めるコトにトレーニングは必要だけど
動かすのはこころだってコトを見て見ぬふりはしないように。
測れるコトはしっかり測って結果をちゃんと整理しつつ
測れないコトの大切さも、照れずに言っていいんじゃない。


「自分達の範囲じゃない。」…そうなのかな?
そうやって、自分達の範囲を決めてしまう人達によって
介護予防が運動、筋トレという図式に導かれていたとしたら
それはとても残念なコトで、未来の芽を摘んでいたコトになる。
もっと残念なのは、世の中がそう受け取っていると
自分達が導いた図式に気付いていないコトかもしれない。


せっかくだから、今あるしくみは有効に使えばいいと思う。
僕らの範囲はある程度制限された中に漠然と書いてあるから
微妙な位置なら、その微妙な位置を上手く使えばいい訳で
微妙だから出来る組み合わせはいっぱいあると思うし。
こうじゃなきゃいけない、なんて所から一度離れてみて
柔軟な発想を認めたら、介護予防は結構簡単に広がるかも。


介護予防が進まないのは、客が意固地になってるのではなく
自分達が、周りが、半信半疑でやるから進まない。
それは、測れたり証明出来たりする事が絶対だ、という先入観や
楽しければ理由は別に、という大雑把な発想が原因かもしれない。
相手を変えていこうとするのに、自分達がそのままで変わる訳ないし
ましてや、金やしくみのせいにしているウチは、論外かもしれない。


介護予防を進めるには、まずは自ら変わってみるというコト。
しょっちゅう変わったコトをやっていると言われるけど(笑)
でも、思いつきや適当に変わったコトをやってるつもりはない。
「こう変わるコトが必要だ」と、変わった理由はきちんと持ってる。
始めたコトに対する責任と覚悟は、変わるなら当然のコトとして
世の中に必要なコトだから、それぐらいの責任と覚悟がついてくる。


人々は、面倒なコトをやりたがらないものです。
でも、その面倒の中に、次のお仕事は隠れていて
リスクやチャンスを飛び越えた充実感や満足感があると思います。
僕は、その中の一つに介護予防が位置づけられると考えていて
その進め方として、自分が変わるというコトを進めています。
どうやったら進められる?簡単です。変わる自分をイメージするだけ。


こういうコトが出来る自分になったら
こんなお客さんに、こんな介護予防が出来るかも。
僕らは、変わりモノが多いと言われる職種なので
変わる素質は十分に持っているのだと思います。
今日、喋ってたら言われました。



「変わってますね」



…ごもっとも(笑)

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