基準と背中

明け方まで飲むなんて
東京神田のホテル以来です。
約一年ぶりの無茶でした(笑)
お世話頂いた若者へ。
本当にお疲れ、ありがとう。



薄暗い卓の前に座ってました。
あそこ、足元が寒くて仕方ない。
でっかく光る画面を横目に見て
スゴイなぁと感心してたけど、
緊張感あるの匂いと空気の中
落ち着かない自分を感じてた。



立派な世界です。何せ難しい。
複雑な仕事は結果が光るし、
僕には出来ない仕事と思う。
でも、少しひっかかるのは、
日常との接点を聞いてみると
そのデザインにドキドキしない。



僕のコトを昔から知ってる人は
随分丸くなったコトを言うねと
ほくそ笑みたい人も居るかな。
でも、残念ながらそうじゃない。
野心も牙も、そのままです。
隠せる様になっただけです。



寒々しい卓で感じてたコトは
生活の変化を繕う理屈が足りないし
とてつもない乖離がソコとはある。
立派が尊いのはよくわかるけど
やる人も尊ばれていいんだけど
寄る大波に「刀」じゃ敵わない。



それぐらい複雑な今というコト。
立派だけではどうにもならない。




僕の個人的な意見です。
賛否両論あるでしょう。
でも、一つ感じたコトは
そろそろ「武器」を変えなきゃ
戦にならないし、勝てない事実。
相手は世間、同じ武士じゃない。



満足の方向性が…どうなのか。
そうでは無いと思っています。
けど、ソコも広く開かなきゃ。
みんなの手に届く身近なモノで
ソコの部分を創るコトが必要。
じゃなきゃ誰もドキドキしない。



みんなの暮らしに密接に関わる。
暮らしの視点で結果にこだわる。
そんな基準にしていかなきゃ
朝まで飲める会は無くなるかも。
足元の冷える卓からは
一人ひとりの顔がよく見えたし。



経済で捉えるコトに
もう迷いは無くなったから
経済的視点で、徹底的に
世間と乖離しない基準を見よう。
学術、臨床、地域を貫く背景に、
生活がある以上、経済は必須です。




今迄を否定する気はありません。
ただ僕は、基準も新しい場所で探す
そう思っているだけです。




でも、一つ嬉しかったのは
「一般向けに本を書く気は?」
と問うた時のお返事で
「必要だと思うから書きたい」
そう答えてくださった。




もうしばらく
背中を追います。




やり方は変えるけど
でも戦には勝ちたいから。
野心も牙もそのままだし。




滅茶苦茶、本読みます。
一分一秒、無駄にしません。




教えの通りに
勉強します。




今からやります。

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