勘違い

朝が早い。
やっぱ遠くまで来たなと思う。


物資は溢れているそうだ。
いいかげん止めないと
地元の業者が潰れるから
もう勘弁してほしいと
ボソッと言われた。


来るボランティアはみんな
気持ちが熱くていい人だと。


なんでもします。
なんでもやらせて下さい。
こうしましょう。
こうしたらいいですよ。
そうすべきでは?
なぜそうしないんだ。


現地の彼は僕にこう言う。


Mr.KC、向こう十年
ここに住んでくれますか?
住んでくれるのなら僕は
喜んで熱きボランティアの
問題を掘り起こす作業に
お付き合いします。


でも、住まないのなら
一週間で帰っちゃうなら
僕らがこれまでやってきた
地域での仕事を壊さないで。
ほっといて。


僕らは地震のあるずっと前から
ココに住んでいるんです。


たまに喉元までそんな言葉が
出そうな時があるんですよ。


彼は笑いながらそう言った。


専門家を大量に投入すれば
なんとかなると思ってたり
物資を送れるだけ送れば
助けになると考えたり
間違ってない熱い思いが
元気づけると信じてたり。


間違っていないからこそ
熱すぎて膨隆した思いが
奥ゆかしく根づいた思いを
津波の様にのみこんでいる。


ただでさえ片付いてない心に
土足で入って来て「助けるぞ」
そんな助けは望んでないらしい。


じゃあ何が望まれる支援の形か?


初日でわかるわけがない。


初日でわかるわけがないと
思えてよかった。


ここまで来て


勘違いはしたくない。


とにかく探さなきゃ。


十年住めない僕に
許してもらえる支援の形を。

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