背負うコトは幸せなコトだ。
将来は背負える。
人も仕事も、志も明日も。
未熟な部分が多い。
問題も山積したままだ。
解決も成長も十分ではない。
いくらやっても終わらないくらい。
でも、だから仕事が生まれる。
成熟させる為に責任を負う仕事。
問題解決の為の知恵を出す仕事。
成長の為にコツコツ努力する仕事。
いつか到達したいどこかへ向かう仕事。
多かれ少なかれ、人は何か背負ってる。
そうだね、おっしゃる通りだと思う。
背負うから、仕事ができて
仕事があるから幸せなんだと思う。
だから背負うモノが多ければ多いほど
人はホントは幸せなんだと思う。
苦痛も疲労も、負担も犠牲も
仕事という現実がもたらしてる
幸せの感触なのかもしれないね。
今、ぼんやり考えるコトが多い。
理学療法士でなくなったら…。
今、僕は理学療法士のKCさんで生きている。
それで背負っているコトがすごく多いと思うんだ。
でも、もし僕が理学療法士でなくなったら
僕はどれくらいのコトが背負えるんだろう。
同じくらいのコトが
背負えるんだろうか。
「KCさんは、理学療法士でもあるんだね。」
そんな風に、名前と仕事の順番を
変えるコトが僕に出来るんだろうか。
ここにきて、色んなコトに気づくな。
気づくコトの多い年なんだろうな。
進み方もあると思うし
どうやって、誰と進むかって
すごく大事なコトだな。
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