同じ仕事で違う商売を始めてみるかと思う時。

前回の続きになるけど、素敵な営業に気づいた時だね。
お盆の中日に暇なもんだと思う方も居るかもだけれど
ま、それはそれとしてお盆も返上しなきゃいけない様な
そんな仕事があるコトの方が僕には大事だったりする
その方が気持ちがちゃんと伝わったりする気がするんだ。





僕の友人PTで、理学療法士の研修の裏方を請け負うって
そんな会社をやっている人が居る、もちろん社長です。
彼は在日韓国人。業界の韓国進出に興味があると言ってた。
その辺りでもとても話が合うんだ。体のでっかいいい奴だ。
年は一つ下なんだけど、彼はその筋で大活躍をしている。





仕事柄、派手に内部に入ってくコトも多いから批判も多い。
2ちゃんで攻撃されてるの読んだコトある。僕は無いけど。
悩みも多いらしいけど、自分のスタイルがあるのが素敵だ。
もちろん僕が研修事業を請け負いたいというコトではない。
同じ仕事で違う商売をするってトコに魅力を感じてるんだ。





僕の一つのスタイルに「デザイン」があると思う。





何も上手に、奇抜に画を書くコトだけがデザインでない。
アイディアや考え方、組立て方や場の作り方、人の繋ぎ方。
その辺りのコト全部ひっくるめ僕はデザインと言っていて
できれば理学療法士であって、そのデザインをやる分野を
新たに創ってみたいと思ったりしているのは随分前からだ。





時代時代で仕事のスタイルが変わっていくのは当然と思う。





今までと同じ事をしながらでもずっと生きてく事は可能だ。
毎日の出来事をその日の最後に笑って話して一日が終わる。
折々来る、人としての節目を楽しみながら年を取っていく。
暮らしを大事に、人生が暖かく過ぎ、安心安全に過ぎ行く。
ある意味、人間として一番幸せな時間の過ごし方だと思う。





わざわざ変えたり、変わったりは、変わり者に任せていい。





僕はそう思っている。わざわざ危険な橋を渡る必要はない。
渡っても崩れない橋を探して、そこを渡れば問題はない。
その橋、誰がいつ頃架けたモノでどれくらい強いかなんて
安心安全に渡っている時にわざわざ考える必要も何もない。
ただ、そこに渡れる橋が架けてあるという事実はあるね。
誰かが、ココは危険だから橋を架けようと思った思いだね。





おそらく僕の友人はそう思ったんだろうな。





研修事業という橋を架けるコトでもっと沢山の人に
安心安全で、高品質で安価な学びの場を提供したい思った。
それって、その場で学んでいる人はおそらく何も感じない。
告知で選んで、面白そうだからお金を払って行こうと思う。
そこに彼も、彼の理学療法も何も関係してこないんだけど
彼は、それを自分なりの理学療法だと言うんだね。





当たり前になされているコトの裏側にはね必ずある。
何気になされている様に見える反対にある苦悩と苦労。
そんなコトは知らずに生きてた方がよっぽど幸せだけど
もし気づけるなら僕はその苦悩と苦労を次の仕事としたい。
というか、もう足は突っ込んでいるのかもしれないけど。





苦労や苦悩が多い分、他人を巻き込む訳にはいかない。
僕の周囲に居る変わり者の一人の口癖がそれだけど
「KCクン、命賭けなきゃ、いい仕事は出来んのだよ」
なら尚更さ。命賭けてなんてそうそう言えないって(笑)
賭けられるとすれば、橋の重みに気づけた人ぐらいだね。
渡る橋を創ったどこの誰か解らない人を尊敬出来るかだ。





その時は、無い所に橋が必要だと感じるのかもしれない。





さっき、注文してた印刷物が届いた。スゴく重いんだ。
盆の中日に配達しているドライバーの人と少し会話して
サインをしてフライヤーの入った重たい箱を受け取った。
塩ビで出来た幅の広い荷紐をカッターでバチバチと切って
段ボールを塞ぐガムテを真ん中から丁寧に切り開いた。
発注は1000枚。予備が包まれててそれを先に開けた。





想像してたよりずっと質のイイ紙でびっくり。





こんな短期間で仕上がってくるのかと思った。





慣れないソフトで入稿データの作成は大変だったけど
出来に大満足で、ココならこれからも使えると思った。





これから、デザインの仕事で橋を架けてみようと思う。





彼は、理学療法の研修企画を考える仕事で飯を食う。
僕は、理学療法のデザインを伝える仕事で稼ぎを出す。





理学療法の技術を使わずにどれだけ理学療法に成れるか。





人が喜ぶだけでなく、どうやったらそれが商売に成るか。





もうこの仕事について結構時間が経っちゃったから





これからの時代、自分がどう変わってきたいかぐらいは





人にちゃんと説明出来る様にしておきたいね。

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