無駄なコトやんなきゃ、感動なんて創れない。

遊び場フェスタの余韻も覚めやらぬまま
今日は終日映像の編集に時間を当ててた。










テーマには「つながり」という言葉を使った。










地域のつながり。
人と人とのつながり。


仕事のつながり。
職種を超えたつながり。


感性のつながり。
笑顔と笑顔のつながり。


未来へのつながり。
世代を超えた人のつながり。










そんなイメージをしていたんだ。










編集が終わったオープニングアクトの映像は
自分でも感動モノの仕上がりになりました。
これは、パフォーマンスの素晴らしさだけじゃない。










ココに行き着くまでに多くの資源を費やしてきた。
時間と労力、お金や理解がその基礎になっていて
それを何とか懲りずに着いて来てくれてみんなの力。










みんな、という形があって4回という継続がある。
地域の多くの人を包み込み、一つの型が出来始めた。
そして何より、楽しみにしているという言葉が返る。










そこに感動があり
創る者と楽しむ者とのつながりが
生まれたんだと思う。










感動を創るというコトは易しくない。
非効率で手間がかかり、失敗も多い。
創り方が解っているモノでないから、
感動を創るコトはとても難しいんだ。










たらればで括られるほど努力の量は小さくない。
必死に努力しても足りないぐらいの努力をして
それでも気づかなかったり不足の所が多いんだ。










でもそれは、次の努力を生む材料だから
喜んでありがとうと言わなければならない。
先に進む時は、先に進める人は、そういうモノ。
留まらず、先を見るからこそ足りないモノがある。










普段とまったく違う格好の君。
いつもとはまったく違う世界の君。
今日だけはまったく違う君を見せる君。










そんな世界を創って感動を拵える。










感動とは、非効率的なモノだ。
なぞって出来るモノでなく
決まった形があるモノでない。










だからこそ、感動を創るコトで
DRYな喜びを、WETな楽しみを
創るコトが我社の使命。










それを地域で創るコトが我社の使命。










それを、新・地域リハビリテーションと
定義するコトが我社の使命なんだ。










もう動きはじめてる。










新しいつながりが










きっと使命を成し遂げていくよ。

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