原因と結果を、不必要に、無駄に、ウザいぐらいに考えてみるというのも悪くはない。

バタバタしてる感じがするな。
自分もそうだけど、周りも騒々しい気がしてならない。





こういう時は自分の足元を意識して
近い仕事も通し仕事も、深い仕事も浅い仕事も
自分に関わる仕事をフラットに考えるコトを意識しよう。





今日少しゆっくり風呂に入って
今取組んでる仕事の一つひとつを丁寧に思い出す。





何故、その仕事に取り組んでいるのか?
その仕事の意味と自分とのつながりは?
つながりの先にある利益は何か?
誰の為の何の価値になってくのか?
そして、その価値は次、どんな価値を生むのか?





一つひとつの仕事には原因と結果がある。





原因を意識しない限り、結果に結びつくコトはない。
一番いけないのは、何となくしてる仕事が多いコトで
その次は、考えないでしてる仕事が多くなるコト。
そんな仕事が重ねてくと、決まって仕事は暇になる。
というコトはだ、忙しいってコトは、悪くはないコト。





少々の忙しさは当たり前なのである。





人間は成長の生き物であって
成長し、進化し続けてる間は「時」の真ん中に立てる。
ただ、成長や進化を意識しなくなったら「時」に遅れる。
一度遅れると、戻るコトはほぼ不可能。
だから忙しさなんてのは、その象徴なのかもしれない。





でもそれが正しい訳でもない。
無理せず楽しく、自分と仕事をきちんと分けて
自分の人生と仕事の制約を別な世界として生きてく。
実はこれも正しいのである。ある意味そちらが幸せだ。
だから僕は、どちらが善し悪しというコトを考えない。





要はどちらを選ぶか?というコトなんだ。





忙しい毎日を選ぶ自分が居るのなら
自分がそれがそれで満足なのだったら
別にそれでいいのである。





僕は時の真ん中に立ち続けて居たいから
原因と結果を、不必要に、無駄に、ウザいぐらいに
考えて考えて考えて、始めていきたい。





昔言われたコトをふと思い出した。





「いつか、会議だらけの毎日になるよ」





まったく。
その通りの毎日になったよ。

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