稼ぎとは、稼ぐ事実が重要なのでなく、稼ぐ為の環境を作るコトが重要なのだと知るコトから始まります。

お金というのは大事なのである。










昨晩、FACEBOOKで久しぶりに昔の顔見知りと話す。
仕事は好きだけど、お金も好きだとのたまっていた。
しかしながら、間違ってはいないのである。
勉強会でもお金の話をしたのだけれど
最近になって、お金は大事だという事実を強く感じる。










得る事が大事なのか?










いや実はそうではないと思うコトが多い。
稼ぐのは、実はたやすいのである。
昼夜問わず、寝る間を削りアルバイトでもしまくれば
そりゃ相当の金額が稼げるのである。










だから、稼ぐという事実だけを見れば簡単だ。










ただ、みんなそういう稼ぎ方はしたくない訳である。
遮二無二自分の時間を切り売りする様な稼ぎ方では
自分が満足出来ないからだ。










基本、稼ぎたいと思うのは
認められたいという欲求があっての事であり
認められる事実を、稼ぎに置き変えて考えた時に
稼ぐ事の前に、稼ぐ環境が必要なコトに気づくはず。










そう、稼ぐには稼ぐ環境が必要なのだ。










だまっていてお金が生み出されるコトなどない。
材料を黙って眺めていても、料理にならないのと同じ。
野菜や肉を並べて置いて、じっと前に座り続けて
「コレ、食べれないんだけど」と文句を言っても
そりゃ当たり前だろ、料理しなけりゃ食えないよと
他人に言われるコトが当たり前なのである。










だからこそ、稼ぐ事と稼ぐ環境とを考えるコトは
稼ぎそのものに関わる大事な要素なんだ。
美味しいモノを食べたいと思うなら
美味しいモノを作れる様になればいい。
作れない人が美味しいモノを食べたいと思えば
お金を払って食べる訳だからね。








稼ぎが象徴するのは、満足と納得なのである。










相手の満足と自分の納得。それが合致した時
稼ぎは正当化されるし、それは経済として成立する。
欲しいモノは買うし、欲しくないモノは買わない。
だから人が欲しがるモノを沢山作れる人は
稼ぎもそれとして考える事が当然なんだと思う。










ある意味、世の中の多くはそういう構造をしている。










だから、その構造に沿う方が効率的だと僕は思う。










我々の世界は、金に関する議論を嫌う。
稼ぐ事は根本的に「悪」だと思っている。
理解不可解な知識と複雑怪奇な方法論と
何となく一般的な扱いを受ける事を嫌う風土と。
少し高い位置から見下ろし加減の立ち位置で
武士は食わねど高楊枝、なのか。










いつもながらだけど、僕は善し悪しを言わない。










稼ぐ事が「悪」だと思ってる人はそれはそれでいい。
善なのだ意識を変えてくれと頼むつもりもない。
武士が商人になる必要もなければ
商人が武士の真似をする必要もない。










ただ一つ言えるのは、今世の中が欲しているのは
武士の様な商人であり、商人の様な武士なのだ。
少しばかり中途半端で矛盾のある存在なのだ。
その上で、欲しいモノを創ってくれる人なのだ。










そしてそれは、もっと言えば、僕ら自身も望んでる。










そういう人が現れる事を密かに願ってる。
なんとなく医療を産業に変えてくれそうな人を
みんな待っている。










稼ぐ事は、稼ぐ事実が大切なのではない。
稼ぐ事実には稼ぐ環境が必要なのだというコトを
知り、理解し、当たり前の経済観念を持つコトだ。










そうする事で
その人が望む形を、どうすれば
僕らの価値観で現実にしてあげれるか?
を、ちゃんと考える様になるんだ。










稼ぐ事に夢を持つ一方で
意識し、責任を持ち、襟を正すコトになる。










リハビリテーション医療は
リハビリ産業へと変化しつつある。










医療じゃ無いとは言わない。










でも医療が全てでも、もうない。










経済として産業であり
それでこそホントの意味で
生活なんだ。










お店でモノを買わない生活など
あり得ないからね。










僕は、僕のリハビリって商品が
たくさん売れたらいいと思う。
大勢の人が望んで買ってくれて
それが稼ぎに繋がってく。










そう考える事が出来る人を増やすコトが










僕にとっての稼ぎなのである。










後は、使い方。










金は、使い方の方が難しい。

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