ほうれん草は土の上で出来るけど、今はシェアされたマンションの一区画でもホウレンソウが作れるんだ。

技術革新は著しいですな。
諸々文明の利器は、常々使う者を選ぶ訳だ。
情報の質は一昔前と比べると大きく異なり
コミュニケーションの幅は測れないぐらい広がった。





だからこそ考えていたいのは「情報」の取り扱い。





報告、連絡、相談、ほうれんそうなんて話が
仕事を始めた頃よく聞かされたが
今は、ホウレンソウも含めた野菜の一部は
徹底的に情報をシェアされたビルの一区画で
作られる時代になった。





ほうれん草は美味しいよ。
それは変わらない。
土の上で作ったほうれん草が一番。
それも否定はしないんだ。





ただ、情報のシェアで作られたホウレンソウも
ほうれん草であるコトは間違いないんだよね。





つまり、ほうれん草自体が変わった訳ではなく
ただ、ほうれん草の作り方が変わったってコト。
そして、情報共有で作られたホウレンソウなんて
そう言ってても、ほうれん草もホウレンソウも
スーパーに並ぶと、見分けがつかないわな。





つまり、情報の共有は便利なのである。





ホウレンソウを作るのに便利な方法なんだ。





そして僕らは、大抵の人がそうだと思うが
仕事を始めたその頃に、報告、連絡、相談が
大事だからと徹底的に教えられるのが普通だ。





もう一度書く。
情報の共有は便利。





そして、今、現代社会では
ほうれん草の作り方が変わった。
ホウレンソウになった。





大事だから、身につけなきゃいけないと
そう教えられたほうれん草の作り方そのものが
利便性高く、変わってしまった時代になったんだ。





ほうれん草だったソレは
情報の共有を覚えるコトで
ホウレンソウになります。





ほうれん草は食べれても
ホウレンソウは食べたくない。
そういう人、居ませんか?





んなコト言ってばかりで
土の上で作るコトだけに拘っていて
情報共有のホウレンソウを嫌がってると
僕らの世界は、大変なコトになってしまうよ。





だから…





ソフトとハードがしっかり組み合う形を目指すのに
情報の共有は、出来なきゃいけない一つの技術さ。
それが出来るトコと出来ないトコの違いについては
また改めて、別の機会に書くコトにしようと思ってます。
簡単に言うと、Sonyとappleの違いみたいなもんだから。





僕は、お野菜あんま好きじゃなけど
ほうれん草は食べれるよ。





でも、ホウレンソウも全然イケる。





割と好きな方かもしれない。

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