自分たちの基本的でシンプルな技術を究極に高める先に、スゴく大事な何かがあるのかもしれない。

iPhoneとiPadを購入した。










これから購入しようという諸氏おられたら
Siriという音声入力システムの紹介を観てほしい。










焦点なのだと思う。










仕事に焦点を当てているコンピューターなのか
生活用品なのか、という違いなのかもしれない。
僕が今回、購入を決めたのはこの動画を観たから。










前に、FaceTimeのCMを観た時もそうだったな。










音の無い世界の人が二人。










画面を通して、手話でお互いの愛を確かめる。
声は出なくても、顔と顔を見合わせるって事で
音の無い世界のコミュニケーションが成立してて
愛を語るって、ごく普通の生活のありふれた場面を通して
人は、あくまで人だとというコトを教えてくれた。
たとえ、それが音の無い世界でも変わらない、ってね。










SiriのCMの最後には、光の無い世界の人が出てくんだ。
でもSiriはすごく頭が良くって、光の変わりに音を届ける。
聞いてくれる。読み上げる。音で光を与えてくれるんだ。
それは、一つ仕事の道具、としてではなくて
本当の意味で生活の一部になっているコトを教えてくれる。










発展した技術や、進化した方法など
世の中には腐るほど、うんざりするほどある。
技術は新しければいい、複雑であればなおいい。
誤解を恐れず言えばそれは、嘘だと思う。
そんな技術が必ずしも、人の生活として豊かにはしない。










言葉という基本的で、シンプルな人の能力を
究極にまで使い易く、触れ易いモノにしてくコトで
人の生活は豊かに出来る。










言葉だけでは無いと思うな。










動きや、関係というごく基本的な人のモノを
究極にまで身近にしていくコトがひょっとしたら
すごく沢山の人が望んでいるコトの様な気がする。










僕は、新しい技術を習得する事に躍起になるより
自分たちの基本的でシンプルな技術を究極に高める。
そのコトの方に、今からの僕らのスゴく大事な何かが
有る様な気がしてならない。










人がどうだとか、どこそこがどうだとか
そんな事ではないんだな。










僕らは、基本的な事を身につけているから
その基本的で、シンプルで
でも、一番僕らが大事にしている技術を
究極に仕上げていくコトが
多くの人を喜ばせるコトにつながると思うんだ。










スティーブはスゴいなぁ。










言葉を究極に煮詰めて
iPhoneやiPadを創った。










僕は、ROMやMMTやADLを煮詰めて
一体何が創れるだろう。










でも、やってみたい仕事だな。










iPhoneやiPadの様に
人の生活に大事なセラピスト。










是非観てほしい。
SiriのCM。










Siriは、僕の新しい相棒だ。

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