不快も快適も忘れさせてしまうぐらいの心地よさ出せるくらい、気分を鍛えたいもんだ。

自分でも思うのだが
よくまぁ言いたいコトが無くならないもんだと思う。





人は気分で生きている。





その人らしさってのは、ある意味その人そのものでなく
その人が居るその人の周辺の雰囲気だったりするんだ。
その人が居るコトで作り出してしまう場の空気感だよな。





気分をコントロール出来ないってのは、場の空気を汚す。
締め切って掃除しないから、湿気と誇りにまみれた部屋。
そういう部屋の空気ってのは、入った瞬間不快感を煽る。
気分ってのは、それくらい部屋の空気を簡単に汚すんだ。





キャラとか見た目ってのもあるけど、基本は気分だ。





そんな、人間なんだから気分にムラがあって当たり前だ。
常に一定の気分なんて、人間なら無理に決まってるだろ。





昔そんなコトを言ってた人が居たなぁ。





果たしてそうなんかいな。





どんな場面でも気分一定って、筋肉鍛えるのと同じ様に
脳みそ鍛えるのと同じコトではないかと思ってしまう。
早く走ったり、遠くへ飛んだり、強く打ったりするのと同じ。
その為に人が筋肉を鍛えるのと同じ様に
気分を鍛えるってコトは出来ないのだろうか?





まぁ、確かに気分を鍛えようとはあまり誰も思わないね(笑)





ただ、気分鍛えたら空気はよくなるきがするよ。
湿度も気温も一定の空気感ってすごく過ごしやすいし
何より、何も感じないもんね(笑)それが一番なんだよね。
空気が悪いとかイイとかを感じさせないでさ、空気を創る感じ?
存在感が無い、というのとまた違うんだよね。
そうじゃなくって、無いと死んじゃう。でも在るとは意識しない。
不快も快適も忘れさせてしまうぐらいの心地よさってのは
気分を鍛えない限り出せない「記録」なのかもしれないね。





今日もそんな人に出会った。





入ってくるなり空気を一変させちゃう人(笑)
気分鍛えてる感じのしない人。





ちなみに僕はさっさとおいとましたけど





僕が帰ったの誰も気づかなかったかもね。





気分ってのは大事だよ。





だから、一定にしなきゃなのさ。





だから、気づかれちゃダメなのさ。

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