自分濃度

やたらと人に会うコトが仕事になってきた。
下手をすると、一日中誰かに何かを説明している。
もちろん同業者以外が殆どだから、脳みそフル回転で
一日終わると、一人になった時にドッと疲れが押し寄せる。






しかし、その慌ただしさと回転の早い毎日のおかげで
人の違いが、今まで以上によく解る様になってきた。
人のよさや、腹黒さ、大胆さや軽さ、熱心なのか冷静か。
解ればわかるほど、自分の未熟さにも気付く。






たくさん会う中で、今日とても謙虚な時間に遭遇した。
なんというか…自分濃度が著しく低い(笑)色が無いんだ。
大袈裟でなく、存在感も強くなく、無味無臭な感じ。
でも、前だけは向かなきゃいけないという謙虚さ。






少しだけ話して終わろうかと思っていたが
何故か、僕はこんなコトをやってんだと長々喋っていた。
それはきっと、無色透明な眼差しに魅了されたからだろし
その瞬間が、説明ではなく、語っていたからだと思う。






人は、見えなくなる時がある。






僕にもあった。






その時僕は、お師匠に怒鳴られた。
忘れもしない繁華街のど真ん中で葎掴まれて怒鳴られた。
後ろにファミマがあったのを覚えていたりする(笑)
お師匠のあまりの剣幕に、先輩PTが止めに入ったぐらいだ。






ベタだったけど「お前、なめてんじゃねぇぞ」とすごまれた(笑)






超怖かった(爆)






そして、もちろん僕はそんなコトしない。
そんなキャラクターでもないし、そんな時代でも無い。
ただ一つ言えるのは、それでも人は見えなくなる時がある。
問題は、見えなくなってる自分に気付くかどうか。






時間が重なっていくと、人は自分濃度が濃くなる。
自分の色が濃くなりすぎて、人の色まで自分の色に見える。
何もかもを、自分の色に塗りたくっても大丈夫な気になってく。
結果、自分の色以外の色に、美しさや優しさを感じなくなる。






自分濃度を高めてくれているのも、人の色だというコトを忘れる。






そうはなりたくないもんだ。






お師匠様に怒鳴られるのも、もうごめんだし(笑)






今日、無色透明に光る眼差しに出会った時にふと思い出した。
鍛冶屋町通りのど真ん中で、人目を憚らず怒鳴られた自分の姿。
その時の自分濃度の濃さや、見えてなかった範囲の大事な色。
教えられた謙虚さや冷静さを、忘れないでいようと思った瞬間。






何故か饒舌に喋ってしまった。






「どうだい、今までと全然違う感じだろ?」






「はい…」






「考え方や、やり方を180度変える世界なんだ」






「はい…」






「患者じゃないぞ、お客なんだ」






「はい…」






彼女は何を話しても、まっすぐに僕を見て
はい、とだけ繰り返してた。何度も、何度も、何度も。






でも、最後に一言、こう言った。








「かっこいいと思います…」









僕が伝えたかったのはその言葉。






少し、自分濃度が下がった気がした。

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