生き方の目標が絶えるコトのない毎日

結構な年になって、周りも随分落ち着いて、守りに入ってもおかしくない年にになってんのに
なんとなく自分のスタイルを貫き通したいって思いが消えず、ラフな挑戦を続けていたりする。



昨日は生まれて初めて県庁の県議会の議員控室なるモノに通された。
格好がジーパンにポロシャツだったので、守衛さんに怪訝な顔で見られつつ、赤じゅーたんを進んで応接室へ。
ま、つまりは地域リハビリテーションを産業振興の資源としてつかえないか?という打ち合わせだったんだけど
御役人は「お考えが行政のはるか先を行っておられるので…」と汗をかいておられた。
言えば別に、先とか後とかの位置を測りにきた訳でなく、産業振興の材料としての地域リハの価値を知りたかった。
反応はとてもよかった。こういう時、ipad持っててよかったなぁと思う(笑)メディアとはこう使わなければと再認識した。



まぁ、場所が場所だけに、そんなもの行政でトントンと行くわけはないと思っている。
せいぜい「面白い話」だなぁ、的に形になる手前で消えていく情報の一つを得た機会、というぐらいだろうと。
ただ、ココで終わらせるのはもったいないなぁと思っていて、いくつか別の策を用意して罠をはろうと思案中なのだ。
連休は、各事業もコミコミで、戦略の総練り直しをしようと思っているところ。それくらいいい材料なんじゃないのかな。



産業という挑戦のフィールドを見つけたコトが嬉しいのである。こんなオッサンにまだ、やるべきコトがあったかと。
最初にも書いたけど、結構な年になり、周りもさして冒険しなくなり、続ける事はイコール守る事だと言う人も増えた。
日々楽しく暮らすのなら別に毎日を細かく分析し、その都度都度変える必要などどこにもなく、そう、ただ楽しけりゃいい。
どちらかといえば、それが普通の生き方で、それが楽な生き方で、それが一番疲れない生き方なんだとわかっちゃいる。
そして、別にさして目標など持たずとも、それなりに生き、それなりに満足する事も十分に出来るだろう。



でもなぜだろう、僕はそういう生き方が、僕はどうしても「面白い」生き方とは思えない。



いつも目標を掲げていたい。何か、目指すモノが欲しい。もっと言えば目標が無いと嘆くコトをしたくない。
なんとなく生きてるという時間ほど、楽しけりゃいいという時間ほど、もったないモノは無い気がするからだ。
昔はそうでもなかったけど、今は考えるコトがスゴく楽しくて、前に進む為の工夫を考えるコトが大好きになった。
どうしたらもっと儲かるだろう。どうしたらもっとよい人を確保できるか。どうすれば最新の情報を自由自在に扱えるか。
その3つを考えるだけでも、自分の目標、仕事の目標、目標に向かう為の目標には事欠かないから
日々やるコトが増えていく(笑)



でも、それでいいんだ。



日々やるコトが増えてくと、出来るコトが増えていく。出来るコトが増えるとチャンスが増える。
チャンスが増えると関係が増える。そして、関係が増えたら役割が増え、その先に自分の存在意義も見える。
コレって、人として、社会人として、理学療法士としてもっとも幸せなコトだと思う。



目標が在り続ける訳だ。



何したらいいのかな…、と思うコトが無い生き方。



こんな時代に「生き方の目標が絶えるコトのない毎日」ってのは理想だと思う。



産業化かぁ。今まで、リハビリなんて、み~んな医療現場のモノだと思ってるわけでしょ。
それが、日々その人の暮らしの中に自然に入りこむ存在になれるとしたら。
恐ろしいくらいに需要は上がるだろうし、その分も中身ももっとクオリティの高いモノになる。
世間一般のリハビリって言葉の価値観がそっくり変わってしまうくらいの仕掛けが出来たなら
こんな楽しいコトはない。



そのkeywordが産業化。



地域リハビリテーションの産業化。



僕の、次の、大きな大きな目標です。

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