アメリカ国の皆さん、こんばんみ(笑)
とりあえず、件数が減らないし、ホントに見て頂いてるなら御礼言わなきゃね(笑)
さんきゅうべりーまっち。
今日は、水面と潮風と、白鳥のカプチーノでとても楽しい時を過ごすコトが出来た。
楽しかったし、ドキッとしたし、それに、少し自分の思いの丈を話すコトが出来た。
そこで出来た話の一つが、3年で一つというテーマの話。
1年目よりも、そして、3年目の為に、2年目は非常に重要な時間であるというコト。
それは、慣れ、花開く為に、蓄積をしなくてはいけない時間なのだというコト。
2年目という年に、変わるコトが出来るとすれば、それは自分自身の力なのだというコト。
同じコトを繰返し、それに終止した時間を終わりにしなければいけない。
自分なりの工夫を加え、集中力や持久力を高め、貪欲さや向上心を養う時間。
その結果が、人に納得される自分になれるというコト。
あえていっぱいいっぱいに向き合い、いっぱいいっぱいを乗り越える技を持つ。
あえて焦って焦って焦って、これから先自分がどうしたらいいかで冷や汗をかく。
可愛いと、美味しいと、眠いと、あ〜あで生きる「楽」さに溺れてしまわぬように。
忙しさだけでもダメ、遊ぶだけの余裕でもダメ。
耐えればいいとい訳でもなく、我侭は耐える力を衰えさせる。
ただそれは、人から教えられるコトでなく、自分で気づくコトなのだ。
楽になるのは楽なのだ。
金もそこそこ入り、時間も出来る。責任はあるが、知識は試されない。
遊びと幸せに目標が変わり、周囲も遊びが過ぎるか、落ち着き始める。
一日は5時以降の為に調整され、何かを追う途中経過でなく、形あるものを守る安定。
そして気楽になっていく。気楽になっていくコトに気づかずに。
そうして年を取ってしまうんだ。
年をとってから気づいても、もう遅い。
僕は昔、自分自身が今の年齢の時はもう引退だと思っていた。
人を育てる側に立ち、人の育つ姿を自分の喜びやりがいとし
そこに落ち着いて、ゆっくり気楽な日々を過ごそうと思っていた。
今日楽しく話した一時に思ったのは、どうやら僕はそれをまだ出来そうにない。
はっきりと自分の中で、まだ挑戦してみたいと気持ちがあるコトを確認したし言葉した。
大切な人へ決意を示すという行為の中に、やり残したコトや挑戦の意思があるコトも感じた。
自分が掲げた言葉だから、夢を夢で終わらせない。
自分の中にそのロジックはあるようで、もう伝わる人には伝わるコトが確認できた。
こうなると、もう止められないから、今は一緒に戦える仲間を募るコトを考える時が多い。
今年の2月に経験した、本当の力や技のある者が集まって生み出すスピード感が忘れられない。
こんなベテランを前に引っ張り出して、まだ休ませない…か。
来週は大きな山場を迎える。
今まで関わった事の無い世界の人達との攻防が続く。
経験も知識も無いが、工夫とイメージと、自分の志で戦うしかない。
ただ、楽しい。楽しくて仕方ない。
まだ、やるコトに気づけたコトが楽しい。
気づいた以上、やらずに逃げるわけにはいかない。
みんなが待ってた人だ、って思った。
一人でもそう思ってくれる人がいるのなら、僕はまだ戦ってみたい。
自分がどこまで通用するのかどうか、自分を試してみたいと思っている。
勝ち目があると思うから、勝負してみたいと思う。
今の僕を作ったのは、最初の3年間が過ぎた後だった。
だから、その分、随分回り道をしたし、余分な時間を費やしてしまった。
何より今、自分がその最初の3年をもっと上手く使えばよかったと思うコトが多い。
だからこそだ。
挑戦する自分の姿を見せてあげなくちゃいけない。
こんなオジサンでも
右足が一本イカれてたって
これだけやれるんだってコトを見せたい。
仕事が楽しいってのは、こういうコトなんだぜって言いたいんだ。
とりあえず、件数が減らないし、ホントに見て頂いてるなら御礼言わなきゃね(笑)
さんきゅうべりーまっち。
今日は、水面と潮風と、白鳥のカプチーノでとても楽しい時を過ごすコトが出来た。
楽しかったし、ドキッとしたし、それに、少し自分の思いの丈を話すコトが出来た。
そこで出来た話の一つが、3年で一つというテーマの話。
1年目よりも、そして、3年目の為に、2年目は非常に重要な時間であるというコト。
それは、慣れ、花開く為に、蓄積をしなくてはいけない時間なのだというコト。
2年目という年に、変わるコトが出来るとすれば、それは自分自身の力なのだというコト。
同じコトを繰返し、それに終止した時間を終わりにしなければいけない。
自分なりの工夫を加え、集中力や持久力を高め、貪欲さや向上心を養う時間。
その結果が、人に納得される自分になれるというコト。
あえていっぱいいっぱいに向き合い、いっぱいいっぱいを乗り越える技を持つ。
あえて焦って焦って焦って、これから先自分がどうしたらいいかで冷や汗をかく。
可愛いと、美味しいと、眠いと、あ〜あで生きる「楽」さに溺れてしまわぬように。
忙しさだけでもダメ、遊ぶだけの余裕でもダメ。
耐えればいいとい訳でもなく、我侭は耐える力を衰えさせる。
ただそれは、人から教えられるコトでなく、自分で気づくコトなのだ。
楽になるのは楽なのだ。
金もそこそこ入り、時間も出来る。責任はあるが、知識は試されない。
遊びと幸せに目標が変わり、周囲も遊びが過ぎるか、落ち着き始める。
一日は5時以降の為に調整され、何かを追う途中経過でなく、形あるものを守る安定。
そして気楽になっていく。気楽になっていくコトに気づかずに。
そうして年を取ってしまうんだ。
年をとってから気づいても、もう遅い。
僕は昔、自分自身が今の年齢の時はもう引退だと思っていた。
人を育てる側に立ち、人の育つ姿を自分の喜びやりがいとし
そこに落ち着いて、ゆっくり気楽な日々を過ごそうと思っていた。
今日楽しく話した一時に思ったのは、どうやら僕はそれをまだ出来そうにない。
はっきりと自分の中で、まだ挑戦してみたいと気持ちがあるコトを確認したし言葉した。
大切な人へ決意を示すという行為の中に、やり残したコトや挑戦の意思があるコトも感じた。
自分が掲げた言葉だから、夢を夢で終わらせない。
自分の中にそのロジックはあるようで、もう伝わる人には伝わるコトが確認できた。
こうなると、もう止められないから、今は一緒に戦える仲間を募るコトを考える時が多い。
今年の2月に経験した、本当の力や技のある者が集まって生み出すスピード感が忘れられない。
こんなベテランを前に引っ張り出して、まだ休ませない…か。
来週は大きな山場を迎える。
今まで関わった事の無い世界の人達との攻防が続く。
経験も知識も無いが、工夫とイメージと、自分の志で戦うしかない。
ただ、楽しい。楽しくて仕方ない。
まだ、やるコトに気づけたコトが楽しい。
気づいた以上、やらずに逃げるわけにはいかない。
みんなが待ってた人だ、って思った。
一人でもそう思ってくれる人がいるのなら、僕はまだ戦ってみたい。
自分がどこまで通用するのかどうか、自分を試してみたいと思っている。
勝ち目があると思うから、勝負してみたいと思う。
今の僕を作ったのは、最初の3年間が過ぎた後だった。
だから、その分、随分回り道をしたし、余分な時間を費やしてしまった。
何より今、自分がその最初の3年をもっと上手く使えばよかったと思うコトが多い。
だからこそだ。
挑戦する自分の姿を見せてあげなくちゃいけない。
こんなオジサンでも
右足が一本イカれてたって
これだけやれるんだってコトを見せたい。
仕事が楽しいってのは、こういうコトなんだぜって言いたいんだ。
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