ついに名前がつく。

追い込まれてみるもんである。改めて指摘を受けた僕のイメージの弱点。
昨日の会議が終わってから、ずーっとずーっと、寝ても覚めても考え続けてた。
これまで何度も何度も何度も、本当に繰返し考えてもどうしても答えが出せなかったコト。
カンガエカタ、ヤリカタに加えてもう一つ。そう、ツカイカタなのだ。



場所(空間)を創るノウハウと、機会(時間)を創るノウハウは出来てる。
二つを創る材料は世間に普通に存在してるものだから、上手く集められたら出来る。
そして、その二つが地域活動の両輪になれば「健康」のメッセージを発するコトが出来る。
ここまでは、5年かかって完璧に仕上がっているんです。つまり、成功している。
だから、その活動はある地域の価値ある資源として機能していると考えらる。



ただこれは、つまり、素晴らしい社会活動であり、地域活動であり、市民活動の域を超えない。
おこがましさを恐れず言えば、僕みたいな「変態」が居たから出来たコトなのかもしれない。
昨日、県庁の会議が終わった雑談の時にそんなコトを言ったら、池田さんは大きく頷いてました。
そう、池田さんが頷くというコトは、このシカケは「新しい公共」として機能してるんだと思う。
でも、だから「利益」という概念とはかけ離れた所に在り、産業労働とは価値観が大きく異なった。



ここが僕が最も迷い悩む所。
なぜなら、僕は確実に「利益」を追求してる。



端的言えば、地域リハビリテーションを使って理学療法士の雇用を生もうと考えている。
さらに現実的な表現をすれば、地域に新たな市場を開拓して、通所や訪問サービスという形で
独自の理学療法(リハビリ)提供スタイルを創って『売ろう』としているコトは間違いない。
究極は言えば、理学療法士は出来るだけ早く自立して、自分で宣伝してお客さんを募り
もっと質高い理学療法サービスを生む為に、厳しい自由市場の中で競争に身を置くべきと思う。



ただ、前提があって、売れる為には地域に健康意識(介護予防や自立支援)を持ってもらわねばいけない。
それは住民だけでなく、関係者、専門職、ひいては理学療法士自身なのだと思ってる訳です。
なぜそう思うのか。その理由は、現実に欲しいと言う人へ届いてないから。知らないと
それ以前に、地域で、欲しいという声も上がらないぐらい使える人が居ないし、使われていない。



何度も東京の協会本部に行くが、何度も理学療法士の新たな職域を開拓せよと指令を受け続けた。
でも需要喚起も出来てない、供給するお店も無い、それにリハビリという商品知識があまりに少なすぎる。
とどのつまり、地域にリハビリが流通していなかった。でもリハビリは売らなきゃいけない。



だからまず、リハビリを地域に流通させるコトが必要であり、だからこの5年間が必要だった。そしてこの5年で
資源を上手く集めてリハビリの匂いがプンプンする場所を創り(笑)、リハビリの菌を撒き散らす様な機会を創った(笑)
そして話題(ネタ)を創って、実際に地域にリハビリって言葉を流通させた。では、流通させたモノは何だったか?



それは「僕」。つまり「理学療法士」という存在。
別に偉そうに振る舞いたい訳ではない。ただ、そういう仕事があって、そういう存在があって
そういう仕事をやってる人が地域に居るんだってコトを、僅かでも流通させれているコトは事実かもしれない。



結論、地域は「じゃあ、理学療法士が地域で出来るコト(リハビリ)って何なんだい?」という所に来ていると思う。
でも、結局は理学療法士が地域で出来るコトは、地域に理学療法士を売るコトしかない。だから続けてきたんだ。
それは、地域利益を「人」と表現し、地域利益を「循環」させるコトが自分の仕事のシカケだと書き続けるコトだった。






ただ昨日の会議では、一般的な表現で言えば「人を笑顔に出来る理学療法士」を
一般住民から要介護の高齢者まで、地域の中で循環させるシカケを持っていながら
僕は、一体どういう理学療法士が「人を笑顔に出来る理学療法士」であり
そういう理学療法士を創るコトで、その会社や周囲や地域は、「儲かる」というコトを言わなかった。



だから聞いてた方が「ああ、いいコトする人なんだな」的なイメージになるのは当たり前ですね(笑)
そう、昨日の僕に足りなかったのは物理的な何か。ツール、そしてツカイカタのイメージ。



「人を笑顔に出来る理学療法士」を生産し、それは色んな利益を生む製品なのだというイメージ。






でも、その抽象的な「人を笑顔に出来る理学療法士」とはどんな理学療法士なのさ、という事になる。
しかるべき学校を出て、国家試験に受かればそれで理学療法士として確立されるのではないか?
そんな疑問がてくるのは当然でしょうね。






良い意味で、学校出たばかりの理学療法士というのは「原材料」に留まる。
でも、産業というのなら「原材料」に「加工」してパッケージにして「製品化」して「売る」のは当然です。
なら僕のイメージは、その原材料となる理学療法士を加工する?何か教育的なモノを施して育てる?
つまり加工とは、人材育成みたいなモノをイメージしているのか?と言われたら、残念ながらそれも違う。



実はその「原材料」が魅力なのだ。経験少なくとも必要な教育は施されている。
つまり、それを最大限活用する方法があれば、イメージ通りの「それ」が生産できる。






実は今日、自分の中の 「その」 イメージに辿り着いてしまった。






理学療法士を、地域に流通させて利益を生む「人を笑顔にする理学療法士」にする加工の仕方。
しかもそれは、理学療法士自身を偏って教育したり、無理に矯正したりするコトではない。全く違うコトだ。
本来持っている「原材料」としての魅力を最大限に引き出すという理学療法士の「ツカイカタ」です。






それは、理学療法の新スタイル。地域の理学療法士の新しいスタイル。地域理学療法スタイル。
ROMやMMT、ADLといった理学療法の方法と肩を並べる方法論になるかもしれないと思ってる。






そのスタイルの結果、新たな研究領域も広がるでしょう。何がベストなのかを突き詰めなくてはいけない。
その加工技術は、おそらく理学療法士に留まらない。地域に携わる多くの職種にも広がるだろう。
作業療法士、言語聴覚士看護師さんや介護のスタッフにも広がる「ツカイカタ」になる。
そうなれば、日本国民全体とは言わないが、それでも、欲しいと言う人は何百万人という市場になる。
もちろん、これからどんどん増えてくいく理学療法士の新たな技術、方法論、職域や市場の拡大となり
雇用や起業の機会も増えます。当然、関連する加工技術にも潤いが返るコトになるでしょう。






そしてなにより「人を笑顔に出来る理学療法士」になるというコトで産業化できます。






人を笑顔にする理学療法士。






実は、これまでずっと、僕は自分の仕事に名前を付けるコトが出来ずにいました。






存在しないシカケ、イメージ、デザイン、だったからいつもいつも、その時々で名前を変えていた。






でも、初めて名前を付けてあげるコトが出来そうなんです。






商標登録を調べました。
まだ、その名前はありませんでした、よかった(笑)






自分のシカケの象徴として
納得のいく名前に辿りつきました。






その名前は…






おしえな~い。






直接聞くなら教えてあげる…かも。
でも、絶対秘密です。







 月曜日に、その名前の「商標登録」も準備を始めよう。

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