志がつながるコトは、快感なのだ。

言って自分を追い込む、という方法をよくやるのだが、今回はホント難易度高そう(笑)
口で言うのは簡単だけど、NipponProjectなんてやらない方が自分の為だったりする。
それでもやるのは何故か?そりゃ、答えは簡単。楽しいからだ。



今日の昼にもそんなコトを言われたなぁ。「先生はなんでそんなコトするのさ?」
「一円も儲からないコトをよくそんな熱心にやれますねぇ」なんて言われてね(笑)
あげくに普通の価値観とは違う世界に居る、とまで言われた(笑)



誰もやったコトが無いコトをやる。それ以上、価値あるコトがあるのだろうか?



僕がやりたいのは、誰もやったコトがないコトなんだな。
やらなきゃいけないコトがわかっていて、誰もやれていないコトだし
誰かがやってくれるだろうと、ずーっとみんなが置き忘れてきた様な大切コトをやりたい。



しんどいのは自分が一番よくわかってる。



やってきたからこそ、自分が一番よくわかってる。出来りゃ逃げたいし、代われるなら代わりたい。
ただ、そうもいかないのは、僕が見えているからだと思う。見えてる以上、仕方ないのである。
見えてしまってるのに気付かないふりは出来ないし、やらずにこのまま終わりたくもない。



最近、僕の周りには「県庁」と呼ばれる所の人がちょいちょい現れるのだが
それもある意味、僕の進化だと思ってる。何年か前には、役所に呼ばれいじめられてた僕が
今じゃ、その方向性を問われる立場になっている。



どうだ!すげぇだろ!なんて、しょーもない話しではない。



人がつながってるのである。つながって、ひろがっているんだ。
技術も何もない僕が出来るコトは、人をつないで自分の仕事を確立するコトだ。
そして、それも一つのリハビリテーションであり、理学療法士の仕事だってメッセージを示すコト。



恐ろしく時間は無くなっている。日々自分の時間が減っていく。もともと無いから、もう殆ど無い(笑)



それでも楽しいのは、やっぱり好きでやれるからなんだろう。
本当に好きでやっていると、好きでやっている人は話してすぐ解る様になるもんだ。
今日、勉強会に入ってもらった橋爪さんも、初めて沖縄で話した時からそんな印象を持ってた。



志ある人が共鳴して、つながっていくコトはとても快感だ。
その場面、場面で共有できた人しか解らない喜びや満足感がある。
今日のお昼の様に、それを「いくら」で考える価値観とは、また違う価値観とは思うけど。



できれば仕事は楽しくやりたい。



使命感を持ってやりたい。誇りと、自信を持ってやりたい。



そして、誰かの為にやりたい。



自分が想う誰かを幸せにしたい、そう思う気持ちでやりたい。



それが自分のスタイルだと思えたら、きっともっと幸せな気分になれる。



カネで買えるとか買えないとか、そんな話でもない。






志がつながるコトは、快感なのだ。

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