自分を未熟だと思う時、映画の主人公が最後にカッコよく死んじゃう意味がよくわかる。

地域リハビリテーションという仕事が自分の仕事だというコトが理解出来てもう何年になるか。
その間、事業の修正をしたり、地域との関係を作ったり、人を抱えたり、新しい事業を創ってきた。
時に楽しく充実した瞬間もあるがその9割9分が苦悩と苦痛の苦労の連続であり、慣れてしまってもう感覚もない。



地域リハは自分の仕事だと自分で言える理解に届き、人から少しばかり評価を頂く様になった。
でもそれでも、今の自分は未熟だ。だから、人から言葉をもらって、人に助けられていると思う。
それゆえ、人を喜ばせるコトが僕の使命であり、決して、辛さで人を泣かせてはいけない。



人が集う時、色んな歪みは起きる。性質や価値観の違い、基準や言葉の違い、思いや現実の違い。
だから、それぞれが正しい。人それぞれが、それぞれの良きコトとして毎日を過ごしている。間違うコトもない。
そして、役目や役割を果たし、恋人や家族を大事にし、自分の毎日や形ある何かを守る日々を持つ為に集っている。



僕にも守りたい人が居て、守りたい形がある。だからこそ、守るコトに全身全霊で、全力を尽くす。
だから、常に先を進む。留まるコトでは守れない。大切な人に、大切な人や大切な何かを守ってもらう為には
留まらず、自分自身がいつでも犠牲になる覚悟で、でも絶対に死なない意識で、立ち続けるしかない。



誰に言われた訳でもなく、自分でそう思う。大切な人を、大切な何かを守りたい。その為に自分に出来るコトは何か?
その自問自答を数え切れないぐらい繰り返し、その時々で答えを整え、今何をすべきかの最善を取ってきたつもり。
でも、それでも、やっぱり僕は未熟で、誰かの苦痛や我慢でそれを成り立たせている状況に気付くコトが多いんだ。



賢明な人からは「やらなきゃいいだけじゃん」「いろいろし過ぎさ」という有難い助言をよく頂く(笑)結論はそうだと思う。
自分の事だけ考えて、気に入らなきゃ文句言って人に任せりゃ済む。そんな究極をご指導いただいた事もある(笑)
確かにそれでも自分は守れる。一定の範囲の中に入れる事で、人も形も守れる事は間違いないだろう。一番利口だ。



そう言う人からは、あなたの生きる理由は自己実現だね、と決めつけて頂くコトもしょっちゅう(笑)でもそれは違う。
僕は、人を信じてみたいのだ。「すぐに人を信用する所があるね」と分析されるコトもしばしばだが、それでも信じたい。
人を信じるコトで先に進みたい。守りたい人や守りたい何かがある人を信じるコトで、その人達を守りたいのである。



ただ、信じるコトが信じられる側に負担をかけ、結果として感情が溢れだす様な瞬間、その時、自分の未熟さを痛感する。
なぜもっと楽しい毎日にしてあげられなかったか…。人が集うコトの歪みや、仕事の組み立ても熟知してるはずなのに。
結局は、まだ僕は未熟で、完璧に守ってあげられる力が足りないコトにやりきれない思いがする。



映画の主人公なら、自分が犠牲になって彗星を爆発させて、人類を救うコトが出来る。



でも、僕は映画の主人公ではないから、そんなコトは出来ない(笑)



そんな僕が出来るコト。



それは、やっぱり人を信じて、信じた人の為にひたすら努力し続けるコトしかないんだと思う。



一つひとつのつながりを大事にして、一つひとつを成功に結び付ける。
丁寧に、丁寧に、誰も傷つけない様に戦い、そうして一つひとつ勝ちを溜める。
一つひとつの勝ちを、信じる人全員で共有して、一つの共通項にしていく。
一つひとつ創りだした共通項を、一人でも多くの人に伝えてひろがりを創ってく。
そのひろがりを知らない人の喜びに変えて、最初に信じた人の喜びに返していく。
それを、ひたすら繰り返してくしかない、それが僕の彗星爆発の方法なんだ。



今日は、久しぶり自分の未熟さを痛感した。



ただ、出来るコトは信じるコトしかないから、信じて、また進むしかない。



いつか、ホントに彗星爆発の様な仕事が出来たら、僕は一緒に爆発して宇宙のチリになっても本望だ(笑)






自分を未熟だと思う時、映画の主人公が最後にカッコよく死んじゃう意味がよくわかるよ。

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