やったろうじゃない。

つながりをひろがりにする、言葉では簡単なのだが実際やるとなると相当難しい。
とにかく受け止める範囲がこれまでと格段に違う。例えIT画面を通してとしても、1対100とかなると相当だ。
ここまでとはね。正直、その労力にかなりおののいている(笑)これまでの自分の仕事の中で最高の労力かも。



根本的に、つなげようとする時は伝わるのだが、ひろげようとするとぼやける。
周囲の反応を見る限り、これは間違いの無い事実と思え、ココは方法を考えなおす必要がありそうで
今のところ、自分の未熟さしか思いつかない、という結論になるんだ(笑)



ただ、それを自分の未熟さと言ってしまうのにも実は納得いってないのだ。
未熟と反省するなら、やはり解決策は見出さなければ何にもならない。後悔損なのである。
一旦未熟と思うからこそ、何が未熟なんだろう…とめちゃくちゃ考えて、考えて、考えて、疲れてる(笑)



一番嫌なのは、未熟だからといって逃げるコトだ。
自分アイデンティティを通して、問題点もやるべきコトも、役目も役割も解っているにも関わらず
方法論がまとまらないコトを未熟と言って逃げたくは無い。それは絶対に嫌なんだ。



もともと色んな場面で我慢するコトを強いられたコトが多かったから、我慢してる自分から逃げるコトは多かった。
だからこそ、天職に出会えたコトに誇りがあるし、それを突き進めていく上での壁を未熟ってコトで片付けたくはない。
未熟なら未熟なりに考えて、どうすりゃ完熟に向かうのかを考えられる自分でいたい。



一つ自分で見えている答えは、ひろがりを創る執念がまだ足りないんだと思う。
つながりを創るコトと同じぐらいの執念では、ひろがりを創るコトはどうやら到底無理の様で
もっともっと、やりたいと思うコトへの執念を高めるしか無い様な気がしてる。



要は負けない試合をやり続ける覚悟なのだ。勝つまで続けるという覚悟なのだ。



過去の経験を踏まえつつでも、それ以上に執念が必要なのだというコトを
僕はもっともっと自覚をしないといけない。でなければ、大事な人達を守るコトなど出来ない。
目標は定まっているのだから、執念に近いぐらいの気持ちで向き合うコトにもう一度立ち返らないといけない。



じゃなきゃ、ひろがりなんて創れない。



でも、絶対創る。その為にやってきたんだ。
この仕事やってます、そう胸張って言える自分でいたい。
僕は理学療法士ですって、自信持って言えないまま死ねるか(笑)



僕の見えない所で頑張ってる人だってたくさん居る。
その頑張りに答えたいし、期待だって、希望だって、夢だって
望むコトの大切は一番よく解ってるはずの僕が、未熟の原因で迷ってちゃダメだ。



今までとは比べ物になんないくらい、色んな能力が必要なんだな。



やったろうじゃない。



やり続けりゃ、絶対負けないんだから。



やり続ける、それしか出来ないんだからね。

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