本懐

不覚にも体調を崩した。だいぶ調子は戻ったけど、万全でないのが今の自分を象徴してる。


オリンピック真っ只中だけど、敢えて野球選手「イチロー」で少し思ったコトを書いとこう。彼の様に「好きなコトを最後の最後まで一生懸命、緊張感を持ってやり通したい」その志はとても共感できる。慣れ親しんだ場所と仲間、環境を変えてまでも自分の「夢」を追ったその姿にロマンを感じる。彼が選んだ先は「ヤンキース」だ。ヤンキース哲学では勝利が全てでイチロー個人の「夢」や「希望」などどうでもいい。ヤンキースがイチローを採った理由は、勝つ要素を持ちそれに見合う数字が期待できる選手というだけで「素晴らしい夢を持っているから」という理由は入ってない。契約条件には、打順も守備位置も、出場の確約すらなされていなかったらしい。それでもイチローは、その条件を全てのみヤンキースへの移籍を自分自身の責任で決断した。


前回、40歳になったと書いたが、年を重ねるにつれ「夢」や「希望」を語るコトに、ロマンと重みという相反する感じを抱いてた。語る理由は、若者に明るい未来をという願望より、むしろ残った人生の中で何か役に立つコトをしておきたいという責任感の方が大きい。ただそれは、ヤンキースでは理屈として成立しない。ヤンキースは、イチローの夢や希望を叶える為のチームではない。ヤンキースが望むのはチームの勝利に必要な結果のみ。ただ、イチローは選手として自分自身で決断した環境で、結果を出すコトで「好きなコトを最後の最後まで一生懸命、緊張感を持ってやり通したい」という自分の夢を叶えようとしてる。その姿に、少し古くさい表現だけど「男子の本懐」を感じたんだ。


勝利はチームで目指すモノ。夢は自分の責任で追うモノ。ここ最近、僕は少しチームを意識し過ぎてた。自分がヤンキースのジラルディ監督なのか、それとも夢を追う侍(選手)「イチロー」か。勝利が全てか、夢を追うのか。そして、勝利と夢の関係。イチローに忘れていたコトを思い出させてもらった気がする。勝利にチームワークは絶対に必要だ。チームである以上、チームで勝利を目指さす事が全てだ。ただその手前で、僕はもう少し自分自身の責任で夢を追うコトにする。イチローは一人。一人だから、自分の責任で夢を追えるのかもしれない。ヤンキースには歴史がある。イチローには時間に限りがある。それを思い出した。早いとこ体調を戻さねばね。

コメント