大橋トリオ

先週末、一人で「大橋トリオ」のLIVEを観に出かけた。会社を起こした当時に知ってからもう3年聞いている。耳心地が良いというか、そこにある自然な音楽という雰囲気が好きで仕事の傍らでずっと流してる。曲のアレンジに重ねが多いからLIVEってどんな感じになるのかなって一人ワクワクしながら会場に入った。



3年分の思いもあるもんだから「あぁ、3年よく頑張ったなぁ」なんて思いながら曲聞くと、ちょっとジーンときてしまって。今だって必死な毎日なんだけど、振り返るとその必死な毎日が3年も続いていて、その時々が、その時々に聞いてた曲が、その時々を思い出せるからとてもジーンときちゃう。



そう、順風満帆ではなかった。苦労と苦悩の連続で、明らかに失敗の多い3年間。はたから見るほどかっこ良くもなく、ただただ地味に、責任感と隣り合わせでやってきて、ようやく日の目を見るのに3年もかかった。とても人に勧められる様な毎日ではなかったのだ。



今、そんな僕の仕事に興味を持ってくれる若者が増えて、実際を見たいと言ってくれたり、色んな相談を持ちかけてくれたりする。そして、それはスゴく嬉しい思い半分、何とも言えない複雑な思いが半分。本当に彼らがこの世界で夢を見れるのだろうか、と思うと小さいトゲが刺さったみたいな痛みが走る。



理想と現実は違う。



おそらくは楽しい事の連続というイメージを持って入ってくる若者が、今までとまったく違う世界が広がったり学んだ事と異なる価値観が横行する世界で自分を見つける事が出来るのか。それ以上に、探す事も忘れてしまって、日々の楽しみは渡せても、彼らに人としての成長を手渡す事が僕に出来るのか。



色んな夢を見せてやりたいと思う反面で、無茶な夢に付き合わせる事が正しいのかどうか。もっともっと時間をかけてゆっくり価値観を育ててあげた後で僕の世界を見ても遅くはないのではないか。でも、新たな世界に足を踏み入れたいという勇気や希望が一番大きな時期であるコトもよくわかるから余計悩む。



今は少し、僕自身もゆっくりと、次の時代を担う人たちの思いに耳を傾けたい。経験の有る無しではなく、この仕事がホントに好きでやれるかどうかをゆっくり聞いてみたい。その上で、色んなコトを我慢したり譲ったり、繰り返したりしながら創ってくもんなんだってコトを、自分の経験で話してみたい。



大橋トリオのLIVEは素敵だった。どの曲もアレンジが練り込まれていて、時間がスゴくかかってるのが伝わる。メンバーも大橋のその思いに合わせた演奏に徹していて、普段聞く通りのクオリティで聴かせてくれた。だからこそ僕は大好きな音楽に身を委ねられたし、辛かった3年を思い返せてそれも楽しい日々だったと思えた。



人の心を豊かにする仕事ってのは楽しい。でもそれには、そこに行き着くまでには、長い長い積み重ねがあって生まれる本物なんだってコトを、改めて教えてくれたLIVEだった。



また行きたいと思った。



僕も、そう思ってもらえる仕事がしたい。

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