留まって確認を繰り返す事と、未来を生む思考と行動ってコトと。

コミュニケーションを最優先にとのカンガエカタも、ヘルスリテラシーというカンガエカタも。蓄えた知識を使える知識へというカンガエカタも、産業化から国家財政への貢献をという壮大なカンガエカタまで、登ろうとする先は同じ場所なのかもしれないという前提で考えたい。




僕らは確かな技術を持っている。だからそれを学んで、理学療法士だと名乗る。



専門家としての位置を保つ努力を重ね、社会から一定の評価を得た結果、それで仕事を得ている。



だから僕は、そこを一切否定はしない。



理学療法士である以上、学ぶべきは知識技術の向上が最優先されるべきと思うし、それがごく当たり前の事としてあって理学療法士だと言える。



ただ、思うのだ。



ずっとずっと僕らは、同じコトを繰返している。



違う世界と肩を組むコトが苦手なまま大きくなってしまった。



決まったパイを切り分けて、その中で生きてく事が当然と思って疑わない。



結果、新しいコトは何も生めないままでいて、生まずに繰り返すコトが新しい事だと思ってる。





いや…既に存在する知識や技術の研鑽と同じ様に、既にある知識や技術の活用も僕らの仕事じゃないの?





僕はただ、そう思うだけだ。



だから、自分達が持ってるカンガエカタやヤリカタのツカイカタを考える。



そのキーワードが僕は「情報」だと思っているし、情報の取り扱いが理学療法業界の産業革命だと思っている。



留まって確認を繰返すって事は、維持されてても進んでる事にはならない。



未来を創ると言うのなら、新たなモノを生み出す思考と行動が必要。



僕はそれを粛々と進めているだけで…



それをなかなか上手く伝えていけないのが悩み。



今週、若い人達と一杯飲む機会がありそうだから



言葉を用意しておかなきゃ。

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