再発信

情報を意識しないでいて、色々上手くいくのだろうか?


仕事上、情報のやり取りが必要なコトは重々わかっている。
ただ、必要最低限の情報はとりあえず揃っていたりもする。
なのに「聞いてない」「知らない」が飛び交う。
それがなぜかを少し考えてみた。


先ず、言う方と、聞く方で、大変なのは「言う方」だ。
言う為に能動的に情報を集め、整理し、加工して「言う」訳だ。
だから、その全体像を知るのは言う方なのかもしれない。


一方、聞く方は「聞く」事で「覚えておく」が必要になる。
だが、聞く方は「覚えておく」事で必要十分を満たしてしまう。
その為、それ以上は「聞いてない」という強力な一言に守られる。


なので、言う方は「聞いてない」と言われぬが為に情報を集める。
責任所在にならぬ様「では、あれもこれも必要だ」となっていく。
結論「なんでも言っておく」的な情報は大味で価値も低くなる。


ココに情報の大きな落とし穴があると考える。
聞く方は「聞いた事」が全て、言う方は「何でも言う」が全て。
これでは効率の良い情報の提供など成立するはずがない。


この関係において、よく遭遇するのは「間違い探し」だ。
発信された情報に際し、ココ違う、あそこが違うと間違い探し。
この時点で、送受信の関係から上下関係へと移り変わる(笑)


基本、情報は双方共に「発信」でなくてはならない。
発信されて受信して、さらに質高くして再発信する。
その結果、情報は味が洗練され質高く使える製品になるからだ。


最近流行のテレビ番組に、工場の製品過程を見せる番組が多い。
一連の作業の中で、大量に生産される物には不良品も存在する。
作業員は、その不良品を取り除き、正規のルートに乗せ変える。


これが連携だと思う。


不良品があったよ、といちいちラインを止める工場はない。
なぜなら、ラインが止まらない様に作業員が居るからだろう。
要は「不良品だ!」と言う事が仕事だと思っているか
ラインを進めるコトが仕事だと思っているかの違いだ。


進めるコトが仕事と思っていれば、
生産の過程で出た不良品の類いの情報は
ごくごく当たり前に出る不良品であり
いちいちラインを止めたりしない。


発信とは過程であり、不良もある。
だから、受信は不良を見つけ修正もする。
しかし、受信は受信だけしてれば不十分だ。
受信した内容を加工して「再発信」して初めて仕事。


情報を扱う仕事においてなら
発信出来るコトをその基本とした時に
受信を「再発信」出来るコトがその応用だ。


応用出来るコトは、重要だ。

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