飲み会というしくみを無くしてみたらどうだろう。

僕が言うのもおこがましい話なのだが、この国には熱い人が多い様に思うのだ。缶コーヒーのジョージアの宣伝の様にそれはどんな業種にも居る。そして、それぞれが担う範囲で世界をよくしてやろうと本当に思っている人たちは実は随分たくさん居る様な気がする。ただ、お世辞にもこの国が今良い方向に向かっていると思う人はそんなにいないのではないだろうか。今日も飛行機が落ちた。安全なはずの国の真ん中に飛行機が落ちる。テレビでは戦争だと叫ぶスーツと、反対だと叫ぶプラカードがテレビの画面を二分する。そして僕は何をしているかといえば、自分の熱い思いを2分ほどに縮めて話した後に、みんなで仲良くお酒を飲んでいた。2分は2分でよいのだ。お酒を飲むという行為も人間であればそれぐらいの楽しみはあってもよい。ただ現代社会の価値観の中で「飲み会」という場の中で語られる熱い思いが本当に形になるのか?というコトは最近甚だ疑問だ。ひと昔前の日本人ならば、酒を酌み交わし夢を語り、そこでつながりを作って仕事を創るという流れがあったのかもしれない。実はそこが日本の発展の礎なのかもしれない。しかし、今の社会で「飲み会」という仕組みが何かを生み出す場であるコトは非常に少ない気がする。どちらかといえばその反対で、上手くいかない理由と形にできないジレンマがある時、お互いの夢を語り合うという熱の温度を上げる為だけのお酒なのではないかと思う。飲み会が悪いという訳ではない。飲み会は面白いし楽しいし、僕も少なからずお酒は好きだ。ただ、ふと振り返った時に、飲み会から生まれたアイディアというのは殆どなくて、実は夜中に一人でふと思いついた何かが形になるコトの方が多いのだ。もちろんそれは僕の場合であって、人によっては「飲むのが仕事だ」という方の方が多いのかもしれない。だから悪いとは言ってないのだ。ただ、札幌から帰ってくる飛行機の中で、ガンガン揺れならがふと思っただけなのだ。飲み会というしくみを無くしてみたらどうだろう、と。

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