結果が出ない日々が続いたって、それは僕らの思い込みなんかじゃない。

結果が出ない日々が続く時ほど辛いコトはない。もう下手をすると1年以上そんな状態が続いているかもしれない。挑戦とか目標とかいう言葉を口にしたくなくなるのだ。誰かと話すコトも嫌になる時もある。

結果が出ない日々が続くと、自分の中に「足りない」ばかりを探してしまう。ひょっとしたら足りてるのかもしれないのに、足りてない足りてないと思い込んでしまう。当然ながら無理をする。いたずらに仕事に時間をつぎ込んでしまったりする。とても非効率な状況で自分に無理を課してしまう。

自分のせいだと思い込んでしまう。自分が間違っていると思い込んでしまうのだ。そしてただただそれを一人で解決しなくてはいけないと思い込んでしまう。頼りどころも何もかもそこに自分の正解を認められないと思い込んでしまう。

でも、思い込んでるのは自分なのだ。だから、思い込みでないと思うことができるのも自分しかいないのだ。勝手な思い込みを、思い込みでないと払拭できるのは自分しかいないってコトだ。

人はあーだこーだと言う。しかし、本当に自分の挑戦や目標の理由をもってあーだこーだ言える人間が本当にそんなにたくさんいるのか?おそらくはみんな、思い込む事もできないままあーだこーだいい、目先の事の解決か楽になる事の理由だけが先行して展開としてあって、そこには行き先は知らないが多くの人がそうだからそうしているのだという理由ぐらしかないのではないか。

だから人の批判ができるのではないか。

僕は人の批判は嫌だ。信じて思い込んで作った価値や世界にはちゃんと理由があって、人の批判の前に、自分の創った何かに対して思い込みでないという信念がある。だからこそ自分が乗るバスがこれじゃないと予感できるのだ。そこに吹く風に予感するのだ。時代が肩をを叩くと信じるから自分の自信がこれなのだ、と未来に向かって言えるのだ。

今年からもう一度自分の心を言葉にする作業をやってみようと思う。

自分とその仲間に吹く風を予感して、胸を高く鳴らす事ができるために僕ができる事は、もう一度しっかり言葉を綴ることだと思うからだ。


ずっと今を待っている。
必ず時代が肩を叩く時が来る。
仲間と一緒に風に胸が高く鳴る時が来る。

それは僕らの思い込みじゃない。
未来を創るものに間違いない。


絶対に諦めるもんか。

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