善人でも仙人でもないから、現実は肯定するけど自分を肯定はしない。

人間は誰しも、自分の中に自分の強弱をつけるモノサシの様なモノがあり、そのモノサシでその時その時に自分の感情や意識の長さを測っている。測った長さ、それは表出できればよい方で、長いのか短いのかもわからないまま鬱積する。だから言葉にして、見る。ただそれだけのコトで、読んでくれとも理解してくれとも思っちゃいない。それは、その時に僕が思った本当のコトだというしかほかにない。


次に何をすればいいかなんてコトを誰も指し示してくれないから、結局は自分がその時何を思っていたかというコトを自分で客観的に見ている。つまりは、自分がこう思うって考えを書くってコトは、反対から言えば人に言えない苦労話を書かないってだけのコトだ。


僕は善人でも仙人でもないから、現実は肯定するけど自分を肯定はしない。全てを正しく適切に綺麗に美しく表現するコトはできない。刃の様な言葉を使う時だってある。でも、新しい世界に向かおうとする時に、既知の事実や利害や特権が絡みあうフェンスの様な何かを壊さなければ進めない時があるとしたら、壊すコトは責任だと思うから使う。


もし前に進めないとなった時、実は誰も責任を取らない。取ろうとしない。それはみんな壊すコトが怖いからだ。だから書いている。僕はこう思う、こう感じた。そう書くコトが次の幸せを作るコトだと思うからだ。


お前がやっているコトが正しいかと問われてもわからない。でも、何もしないでそのままでいるコトが正しいと言われたらそうではないと言える。


ただただ、全力で走ってきたってコトだけが現実。


誰よりも自己犠牲を割いてきたってコトが責任だ。


そう、僕は善人でも仙人でもないから、現実は肯定するけど自分を肯定はしない。

コメント