答えなんてそう簡単に見つかるもんじゃない。

貰ってきた資料を読み返す。話を聞きながら眺めている時と、自分で力を入れて読み返す時とでは理解の度合いが違うコトがよくある。今日もそうだった。昔から、書いた人や言った人が生みだした言葉や文字の重みもわからないで分かった気になっているコトが多かった。今もそういうコトがよくあるから、大事だと思った物は腰を入れて読み返すようにしている。同じところと違うところとに気づく。時間がかかる。自分がイメージしているコトと、後から入ってきた読み返しのイメージとが衝突をして、双方を右と左に大きく引き離してしまう。イメージは折衷的な話になり結局は自分の納得を得る答えにならない。話はそもそもに戻り、また一から考え直したり、絵を描き直したりする。そして、時間が過ぎる。生むコトのできなかった時間を無駄には思わないのだが、かといって生産性のあったとも思えず、なんともモヤモヤした状態になる。糖分が足りず、空腹で頭が働かず、とにかくその長い長い右と左の間でポツンと考えて、何も答えが無いコトに気づく。そこでストップ。思考は止まる。そういう状態の時は止めた方がいいのだ。なので違うコトを考えると探していた様な答えが目の前に出てくる。一日中さんざん探して出てこなかった答えが、探さずに出てきたりする。こんなところにあったのかと見つけられて嬉しく、かかった時間を憂い、何となく探してたものとパチッとはまる状態になって安心する。随分手間がかかる。答えなんてそう簡単に見つかるもんじゃない。実際、それすらも感じずに、分かった気になっているというのが実は一番罪なのかもしれない。

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