ヒゲは、昔の自分と決別する為のヒゲだ。

一月ぐらい前からかヒゲを伸ばしている。もともとあまり生えないから、生やしているのは顎の下だけ。面積もそんなに広く無い。ちょっと生やしているという表現がぴったりで控えめに顎の下のヒゲがある。昔なら、絶対生やしたりはしていなかった。もともと丸顔で年齢より下に見られるコトが多かったから、そこに便乗して若作りしたい意識が少なからずあった。じゃあ、なぜ生やしたか。理由は簡単で過去との決別しかない。決別しようと思った過去が失敗だったとは思っていない。それはそれで、その瞬間瞬間には確かに意味もあったし楽しい場面が多々あった。ただその反面、犠牲にしたものも犠牲を払ったものもとても多かった様に思う。それでも、我慢し続けてやっていくコトに役目や役割があるコトを信じて疑わなかった。ただ、自分の知らない所で現実は、実はどんどん違う事実を作るという現実があるコトを知る。介護予防は、始まった時は筋トレ筋トレだった。しかし今は、予防は包括ケアシステムになり活動と参加になった。なんとなく根っこは同じ感じがするのだが、結局は意味も意義も事実も現実も、少々の前触れがあって、変わる時は否応なく変わるのだというコトを知った。なので、ヒゲを伸ばしてみた。自分は変われると自分で信じてみるにはどうすればいいかなと、思ったらヒゲを生やすコトを思いついた。昔の自分なら絶対にしなかった様なコトを、今ならやれる自分になれるというコトを自分が自分で信じる為に。ヒゲは賛否両論あるが、良いという声もそうでない声もひっくるめて、ヒゲは昔の自分と決別する象徴と思って生やしてみよう。あとは、縁起担ぎ。生やしだしてから、どうも良い結果が続くのだ。

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