待ちに耐える仕事から、みんなを待つ仕事に変えるために。

全ての仕事の中で一番嫌いが仕事が「待ち」の仕事だ。待つ側になると色々詮索する。何一つ見えてないのに、全てを見えてるかの様に、自分の都合のよい様に脚色して勝手なスケジュール帳を作って「待ち」を作ってしまう。つまりはその通りに事が運び、思い通りの知らせが来るコトなどまずない。それがわかっていながら「待ち」は、あり得ない予定を立てて、勝手な喜怒哀楽で自爆しそうになる別な自分を作ってしまう。普段、最もそうありたくない表出や思考や言動を煽るこの「待ち」という仕事のやっかいさ。とどのつまりはプレッシャーから逃げたい。別に一つ一つは適当には仕上げていないのだ。その時、その時で自分の考えを必死に言葉やイメージ図にして仕上げて出している。そのエネルギーたるや、普段自分がやっているどの仕事にも勝る負担を身をもって知る。向き合えば必ず大きな負担と自己犠牲があって、その次に耐えるだけの「待ち」という時間が来る。解決の手段は無く、ただひたすら原始的に「待ち」に耐えるというコトしかできない。二日酔いみたいなもんで、その状況になった時も「もう二度とやらない」と繰り返し思う。今の「待ち」の結果がもし明日来たなら、僕はもう二度とやらない。その結果を持って「待ち」を最後にする。自分の自己実現の為のワガママにココで区切りをつけ、そして、次はみんなが来るのを待ちたいのだ。待ちの仕事は嫌いだ。でも、極限まで待ちの仕事に耐えたなら、次は、きっと、みんなが辿り着くのを待つ仕事に変えていける。誰よりも先に行き、頂点でみんなを待ちたい。誰かが先に行かなければ、そこは頂点にならないから「待ち」に耐えるしかないのだろう。それにしても「待ち」は一番嫌いな仕事だ。

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