動かないなら、動かそうと思わない限り動かない。

週末、金曜日から仕事で東京に行った。羽田から田町まで電車が都合よくつながって思った以上に早く着く。田町の駅で一件、業者さんに電話した。会社の通信設備を見直そうと思って相談した業者さん。電話の声が弾んでないなぁと思ったら値段の折り合いがつかず作業が困難という。しょーがねー、自分でやるかと腹の中で思いつつ「ご面倒かけましたね、またご縁がありましたら」と電話を切って歩道橋を降りた。東京暑かった。相変わらずカンファレンスビルに着くと汗だくになっている。手持ちの薄くて軽いジャケットが重くてしょーがねー。人いっぱいだし。ビルに入って会議。5年?6年?ぶりに戻ってこられた方が会議におられた。本当お久しぶりですね、といって会議が始まる。会議の内容は守秘義務だから書かない。会議が終わってビルの裏にある居酒屋さんで懇親会。ビルからは歩いて3分ぐらい。参鶏湯が食べれるらしい。僕はそれ、初めて食べた。5年?6年ぶりの方から「5年、6年ぐらい前から地域マネジメントっておっしゃってましたよね?」「それ、とても強く覚えてますよ」「当時は誰もそんなこと言ってなくて、今、みんなが地域でマネジメントって言ってて」「そうそう、アプリ、進行どうですか?」

5年?6年?も前の若気の至りの自分が発した言葉が誰かの印象に残ってるという事実はとても嬉しく感じた。希望だな。普通は未来のことに希望を持つのだと思うのだけど、こういう過去の言葉や出来事の印象と現在の自分が重なってる時も希望と言っていいんじゃないかと思う。人に言わなきゃいいだけの事で、自分の中の自尊の部分で静かに抱きかかえる程度の希望っていうのも触り心地がよい。最近作った新しい25マスの絨毯の様な物をお見せした。「この上でね、動かない物を動かせたらと思って」「例えばね、紙だから動かないと思ってしまえば絶対に動かない。だから紙を動かさず、その紙を見てる人の頭の中の紙を動かせばいいんじゃないかと思って」といった会話をしてみた。今のところ、コレについて書けるのはこの程度。それ以上を僕がまだ考えきれていないから。でも一つ言えるのは「動かないなら、動かそうと思わない限り動かない」というコトだと思う。5年、6年ぐらい前から地域マネジメントっておっしゃってましたよね、って言ってもらえた時の自分もきっとそんなコトを思っていた。責任担保できるイメージなど何も無いんだけど、動かないなら、動かそうと思わない限り動かないと思いながらやってるコトだけは変わらないなと。変わらずにやってくためにどう変えればいいかってコトは、動かない物を動かすにはどうすりゃいいのかなってコトを考えるってコトと似てるなと。

参鶏湯ってのはちょっと苦手だった。

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