挑戦し続ければ、いつか光が当たる。継続し続ければ、きっと新しくなれる。

6月6日、17時の飛行機に乗って上京する。梅雨から夏のはじめにかけてのこの時期に自分の景色を見る。もう何年続くだろう。十年以上は間違いないな。梅雨の湿度より不快で、夏の日差しより厳しい、挑戦と継続の試練の時期がまさに今。カッコよく書いてるが、そんなにカッコよくは無い。そんな今を眺める周囲の人からよく言われる。そして自分でも思う。なんでこんな大変なコトに挑み、続け、向き合うのか。何度やっても報われず、繰り返し悔しい思いして、度々折々凹んで重力に負けそうな思いをするのがわかっているのにだ。損してるだけだと思う時もある。普通と比較してもっとも遠回りの生き方だと思って自分に迷うコトはしょっちょうあるのだ。たとえば、同じ生き方をしようという人がいれば、間違い無く「あんた、やめておきなさい」と進言すると思う。


そう、それぐらい、この生き方は、実は贅沢で面白くて、独り占めしたくてたまらない魅力のある生き方だからだ。


挑戦し続ければ、いつか光が当たる。継続し続ければきっと新しくなれる。もちろん誰しも人生で挑戦や継続と向き合うコトはある。でも、その挑戦と継続が、他人から見て大変そうに見えるその人の生き方ってはのは、一見損をしている様に見える時もあるのだが、実は何より自分自身を一番楽しんで生きる一番贅沢な生き方だと思っている。実際やってるから分かるコトもある。挑戦や継続が多い分、向き合ってる様子が大変そうな分、その人は他人より多くの花見や夏祭りやクリスマスや冬のイルミネーションを見る機会に恵まれている、そう感じれるのだ。遊ぶ為に我慢して仕事する、世間でそう聞くコトが多い。僕も同じ意見だ。僕も、人より贅沢に、花見や夏祭りやクリスマスや冬のイルミネーションを見て満足する機会が欲しい。ただそれが、花見や夏祭りやクリスマスや冬のイルミネーション以上の機会であればなおのコトいいのだ。だから人より挑戦と継続に向き合う。大変そうに見える場面に向き合う。こんな贅沢な生き方は無いと思うがどうだろう。


今朝方、宅急便の配達の人が段ボール抱えて荷物を届けに来たから、奥の冷蔵庫に冷やしていた缶コーヒーを2本渡して御礼を言った。


そういう土曜日の始まりが一番贅沢ではないかと思うがどうだろう。

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