本当に誰かの役に立つ。

最終ヒアリングの会場に、1時間前に到着した。1階がカフェだったので、そこで1時間時間を潰した。カフェラテを注文して受け取ってガムシロップを2つ入れた。席に座って作ってきた20枚の資料を見返した。何かが足りないと思ったから最後に1枚そこで作った。結局、最後に作ったこの1枚が、最後の最後で功を奏すコトとなる。

予定の時間は13時から13時半。早く着いたので前倒しでやろうというコトになった。12時50分スタートでプレゼンテーションの持ち時間は20分。質疑応答10で、13時20分に終わろうというスケジュールを言い渡される。最終ヒアリングの部屋から出てきた時間は13時50分。30分オーバーで、外の暑ささながらの議論がそこにはあった。

専門的な中身は別として、誰かの役に立つモノで無ければ創ったり、使ったり、伝えたりの意味は無い様な気がするのだ。専門性のプライド、自己主張、既得権益。確かにそれは、存在して生きる上で切り離せないモノではあるが、本当に誰かの役に立ちたいと考えた時に、そんなもんは実はどうでもよいコトの様に思う。それより、本当に誰かの役に立ちたいと伝えたいのなら、専門性のプライドも自己主張も既得権益も全部が重なる色の濃い部分において自分がやりたいコトがこうだってコトを、自分の血を流しながら平然に、でもきちんと言えるってコトではないかと思う。議論に火をつけた最後の1枚を作っておいてよかったと思う。

最終プレゼンテーションが終わって控え室に戻った。審査員席に座っていた女性が一人控え室を訪ねてきた。30分ほど話をした。というか、一方的な話を聞かされていた。内容はさておきだが、要は「あんたなら、分かってくれる気がした」というコトだった様に思う。

本当に誰かの役に立つかどうかなんてコトは、やってみなければわからない。

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