機が熟したと感じるコトが理由のない理屈の全て。

2018年の4月、新しい事業をスタートさせる。何をやるかはこれから考えるが、ともかく2018年の4月に新しい事業をスタートさせようという事だけは決めた。

僕の場合、長崎という街が自分の基準だから、この街を出ようとは思わない。どの街を訪れても、歴史の深さや海や空の美しさで、長崎を超える街は無いと感じるからだ。しかし一方で、日本全国で仕事がしたいという欲がある。飛行機が大嫌いで、旅行に興味も無いけど、47都道府県すべてで仕事をしたいと考えるコトはとても多い。最近になって、自分の心の奥底にまだそんな火がついてるコトに気づいたら、結局出てきた答えは、新しい文化を作り、新しい仕事に向き合うという、命をすり減らす様な毎日を過ごすコトも悪くはないのではないかという理由がよくわからない理屈だった。多分、機が熟しているんだろうと感じる。明確に基準など答えられない。ただ自分の中で「機が熟した」と感じるコトが理由のない理屈の全てだ。ただ、自分自信への注意喚起として、気をつけなければいけないのは、機が熟しただけで準備は整っていないというコト。人もモノも金も情報も、まだ全くと言っていいほど足りてない。大きな周囲と自分との温度差をはっきりと感じるし、猛烈に追いかけてくれる大事な近しい距離であってもその距離はまだまだ縮まってない。たとえば、本にはそのキャッチボールによって自分と周囲のキャパシティーは高まると書いてはあるが、世の中がそう簡単な話でも無いってのは普通に生きていれば誰でもわかるコトだ。客観的に言えば、新規事業開拓や新会社設立ってコトを考えるタイミングでは全く無いというコトだと思う。だから決めた。全くもってそういうタイミングでは無いって判断できるタイミングだがら、それが新しい事業をスタートさせるタイミングだと。

一昨日、誕生日で45歳になった。40代までをギリギリ現役として、残り5年。どんなに遅くとも55歳までには引退したい気持ちには変わりは無いから、せいぜいやって後10年。引退したら、山の中にクーラー付きの離れを作り、万年筆と原稿用紙で昭和の文豪よろしく小説を勉強して小説家になる。10年小説を勉強して65歳までには直木賞を取り、次の10年で数十冊の書籍を出版して75歳で死ぬ。

その人生設計は絶対に譲れないから、今、新しい事業を興しておかなきゃ間に合わない。

知の範囲を更に広げるコトが山積している。大変そうだと思ってる。

そして今、10年前の自分と今の自分が同じ感覚な気がする。

あぁ、なるほど。

だから気が熟したと考えるのか。


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