思い描いていないコトが、想定されていた様に思える今になった。

奢るつもりはないが、振り返ってみると自分の活動は面白いと思えるのだ。必ずしも事を起こす前から全てを想定していたとは言えない状況の中で、ここ数年の動きについてはまるで最初から何か決まっていたかの様な動きに思えてくる。今が2017年の9月、事実上その新しい技術を作り始めたのが2014年の9月、つまりは丸3年の時間が流れたコトになる。その当時に、今の動きを夢にも思わない。当たった事実に浮かれ、潤沢な予算と共に仲間との絆を育む様な会議を通じて形を整えていった。その途中に悲しい別れが一つあり、僕や仲間やその集団は仕事を進める羅針盤を失うという出来事に見舞われる。それでも仕事は止めなかった。そこに問題があるコトがわかっていて、誰しもが感覚的にそれが問題だと感じていたからこそ、そのデザインは固まった。しかし物事は順風満帆にはいかないものである。活用や手段が全くもって見えないという時期がやってきて、当然ながら資金は底を尽き、批判と辱めを受け、それでも地べたを這う様な仕事の形で何とかその新しい技術を食いつなぐという1年間を過ごす。この経験は今にとてもありがたい。理解されない、先行きが見えないという経験に直面すると、人は知恵と戦略を生む。今でこそながら、自立支援の4文字が世を騒がす様を見て、ざまあみろという思いが無い訳ではない。続けれいれば必要性を感じる何かが現れる。専門職ながら長崎で商いを営む。商いを盤石にする為にただただ責任を全うするコトだけを考え仕事を作り、育てた。その長崎の商いは九州のそれにつながり、熊本や福岡との関わりが生まれる。企業同士のつながり、企業同士のつながりを作るつながりへと発展する。起点になったのが問題の発明であったとすれば、展開のきっかけは技術の開発であろう。だからといって、そこで一足飛びな市場の展開が生まれるコトも無い。混沌とした状態、進む先がすっかりと綺麗に視界が広がるというコトも無く、そこにまた知恵と戦略を上塗りする様な仕事が続く、また続く。福岡の賢者は、続けるコトが道を拓くコトと説き、次の人との関わりをくれた。この頃から自立支援の4文字が自分の周辺で飛び交い始める。本能的に思う。このデザインとこの4文字は必ずどこかで結びつく。結びつけば叶う。人も、会社、地域も、社会も。明日から大阪に登り、福岡の関わりが大阪へと展開する機会を持つ。新規事業をやるなら長崎以外の街でと考えていた。し残した仕事はそういうコトだと思っている。組織人としても、会社の代表としても、新しい展開につながる機会としたい。

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