夜、誰もいない会社から帰る時、朝、誰もいない会社に来る時。

四十も残り半年となったが、偉くなるどころか雑用は増える一方。借金は増えるし従業員は自分勝手が極まりなく、毎度無理が祟って大病の入り口に立つハメになった年の瀬。

朝から晩まで問題解決を考え続けて、片付けてスワイプしたらまた次の問題が飛んでくる。この小さな会社に世界中の問題が集中しているかの様な錯覚に陥る時もある。

常識人からすれば「なんとまぁ損の多い人生だこと」と揶揄されて然りの日々。ごもっともだな。自分の命を削って人の為に仕事して、まして儲からないのだがらそりゃごもっとも。

そして、夜、誰もいない会社から帰る時、朝、誰もいない会社に来る時に思うんだな。お前、なかなかカッコイイ人生を送ってるぞと。

少しばかり人より若い実感がある。
時間の中に形を創れている手触り感がある。
誰かの未来を担うんだって使命感で体が動いてる。

人より苦労して、雑用して、借金して、悩まされて、病気になるまで仕事したから手に入れられたことだと思う。苦痛の過去は今は僕の財産だ。

社員が言うそうだ。「社長はわかってない」「上に認めさせるには」と。てことはだ、僕はどうやら彼らから「社長」と意識され、息巻く輩から「上」に置かれてるってコトだ。

つまり、僕は、四十代で「経営者」になれたってコトだ。こいつはどうもすごいコトだと自分で自分を褒めていて、それがなんとも悪い気がしない。

四十が終わったら現場を引退する。これは公言しているので絶対だ。そして、五十になったら本気で経営者を始めようと思う。

文章やスピーチ、人前での立ち振る舞いがもっと上手くなりたい。楽器や歌が上手で若い人に嫌われないオジサンになりたいし、教養を深く年配者の人心掌握の技も磨きたい。

渋沢やジョブズの様に偉大な経営者でなくていい。でも、周囲に「ワクワクしてるでしょ」と言われながら経営を面白がってる経営者になりたいと、今とても強く思っている。

そう、あれだけ嫌いだった経営という立ち位置が今、とても面白く感じれる様になったコトがコロナショックに喘いだ2021年の成果だった様に思う。

今まで自分を常に「No.2」だと思い続けた四十が終わる。そして、五十から僕は経営者を始めるつもりだ。

さて、何から始めようかな。

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