ありったけの3年間を何に使うのか。

2020年で48歳。2年前、45歳過ぎにクラウドファンドをやった頃から自分をどう終えるのかって事を改めて真剣に考える様になった。周りがどう思ってるかは知らないが、僕自身は、その45歳の冬から春にかけて現場の役目は終えたという思いで今がある。目下一番のお悩みは48歳、49歳、50歳のこの3年間をどう生きるかという事だ。50歳を超えて円熟の10年を過ごしたいので、この3年間の生き方はとても大事だと考える。


ありったけの3年間を何に使うのか


このブログを書いていてよかったなと思うのは、今になって10年ぐらい前の自分と対話できるコトだ。互いの考えを語り合うに自分ほど良い話し相手はいない。昔の考え方を批判しても「それはお前の考えだろ」というコトになるのでさほど痛くはない。自分だからウンザリしても離れようがない。そういうコトで、2009年1月、20件ぐらいの投稿を斜め読む。これがまた面白いし新鮮だ。以下、しばらくは2009年1月の僕が出てくる。



「2009年度を作ってます.」

毎年,長期も短期もそれなりにイメージを持ってその工程を書きます.作った紙の形が,一般的に正しい形なのかは解らないんだけどそれでも,イメージを詰め込んでココではコレって感じで書きます.

使うフォーマットはその年その年で微妙に違いますね.結構,出先で得た知恵を活用して色んなフォーマットを試します.最初はまともに1年分もイメージできなかったけど少しずつ毎日やってたら,3年先,5年先がイメージできるようになって

ありえないんだけど未来が見える気分になったりします.

書いてるコトが正しいどうかは解らない,そう信じるだけ.でも信じて書いているので,不安はそんなに感じません.今日はさしあたり10月ぐらいまでを再度イメージしてみます.10月にはきっと一つの形が出来ている,そう信じて.

創ろうと思っている場所,前例は・・・ないでしょうね(笑)でも,気づけば僕らのまわりは変わっていくことだらけ.それだけが解っていることで,解っているコトに合わせたい.気づいたり,解ったりしているコトに合わせて素直に行動どうやったら,そんな風にからだを動かせるんだろう.ゆっくりと考えてみたいテーマです.

今から付箋と方眼紙に向かいます.



句読点の表記が半角英数字になってるコトに当時の自分のポジショニングを感じる。正直笑えた。考えてるコトとやってるコトが今とそう大差無いコトにも笑えた。当時は「工程表」と語っていて、今は会社でそれを「グランドデザイン」と呼んでいる。1年先、3年先、5年先をイメージできると書いてるが、当時の記憶と今を重ねるとその内容は甘々だ。ただ、それが正しいかどうか解らないと保険をかけてる所でまた笑えた。


ありったけの3年間を何に使うのか


最後の段落は会社の立ち上げの事か。表現は意味不明だが、当時の自分で出来る最大級のアーティスティックな表現なのだろう。そして、11年経ったらまたもや創るコトに向き合う自分が居るから笑ってしまう。


でも、とりあえず今は成功してる。紆余曲折や乱高下があっても小さな街に日常を維持する場所は創れた。そこに行き交う人にも日々が作れたし、家族が生まれ家を建て、経験を培い、未来を得る為にと少しずつ人が増えていった。だから、成功。


でも、今度こそ理想を創りたい。


わがままに創ってみたい。個性的な一人のアーティストが音に色に光に拘って創る舞台。個性的なアーティストの舞台を一流のミュージシャンと一流の裏方が支える。そうやってできる舞台は、一人のわがままから始まったコトで人を感動させられるし、一人のわがままであるコト自体が価値だったりする。そう、わがままは煮詰めて価値になる。多分その状態が「プロ」ってコトなんだと思う。


日常が成功なら、プロが理想。


ありったけの3年間を使って理想を創る。ありったけの3年間でプロに成り、ありったけの3年間でプロを集め、ありったけの3年間でプロのこだわりを煮詰めて人を感動させられる場所を完成させる。そして、50歳までを満喫したら人生の円熟期に移行しよう。


プロか、2009年の僕にはなかった言葉だな。

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