よろずマップ。

緊急事態宣言が解除になった。これでやっと街が元に戻る。子供は当たり前に学校で学ぶ機会が用意され、働く人は当たり前に会社があり、買い物もイベントも娯楽は不自由なく手に入り、国民はまた以前の通り安全な日常が続く。となればいいけど当面はムリだ。


集合、発生、拡大。


当面人を集める行為は社会的に後ろめたい。その地域に感染者数の多い少ないに関係なく「集合」が「発生」と薄く同義語になってる感がある。宣言解除でも県外者が来たら怖いというのは誤解を恐れず言えばつまりは首都圏からの移動者に「拡大」を重ねている。


分割画面に慣れてやる気を失くす前に。


新世界になったらテレビは全部分割画面になった。何気に分割画面に慣れてる自分もいて実はこれ大変なことと思ってる。その理由を書き出すと時間はいくらあっても足りない。そして僕はその世界で経営者をやると決めたから、決めた以上はやるしかない。

新世界だから新しい生活様式を基準にするのはそうだ。そして、経営者は新世界のルールに則った経営のカンガエカタや社会に後ろめたくない経営のヤリカタに知恵を出す。このカタカナで書くことをちょっと懐かしく思いながらその役目を改めて整理している。


世界の歪みで本当の地域愛が生まれるかも。


人が集まれない。買い物もイベントも学校も仕事も緊張と共存する。そんな新世界で人は何を大事にするのか。国は緊張と同居する時は自国民保護を優先する。街も同じでつまりは人は無意識でも自分の住む土地が安全であってくれと願う。それが人だ。

コロナウィルスは腕力で世界を歪めた。社会は自国民保護が優先になり、街は命の安定と経済の我慢が極めて難しいレベルでバランスを取らざるを得ない日々になった。そんな時に人は何を大事にするのか。僕は、新世界こそ地域への愛情が不可欠なのだと思ってる。


見える街にすること。


新世界、経営の注目は改めて地域。今までも然だが改めて限定的範囲の地域でその価値の表現は経営資源になるかもと思う。社会は人の移動を制限し一定範囲での生活を強いた。それが今後数年続き、人々は限定的範囲での楽しみや豊かさを求めざるを得ないからだ。

思うに新世界は、一定範囲の地域の中で楽しく豊かな生活がどの程度あるのかという事が確認でき、自らが住む街は安全であり楽しく豊かであって田舎街でも十分楽しめるという事実が見える、そんな住民ニーズを具体的にする活動展開が地域の満足を得るのだろう。

集まらず、発生、拡大を上手に避ける風をしながら、一方で自らが住む街は安全であって楽しく豊かであって田舎街でも十分楽しめるという事実を見える様にする為の具体的活動であり、それは相談や助言といった何らかの専門性に偏らない手段で展開される。


そうなるとマップぐらいしかないんだ。なので今日仕上げよう。

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