新世界の材料は過去の自分。

長崎県は休業要請が概ね解除になった。業種によってはもうしばらく続くが、我が社組織においては「通常に戻すぞ」という笛が鳴ったと思えてる。長崎の様な田舎街でも感染が他人事ではなくなった今、改めて、新世界に対する新しい「しくみ」の必要性を感じる。


「今イメージしているコトを形にせねばと思いました。」


「前例や存在が無いモノを創るというコトは、そこに対する思いは「執着」ぐらいのレベルが必要な気がする。あたまの中のイメージを形にして動かし浸透させるエネルギー。単にお金や自分のコトだけで済ませられない出来事が後押しをするのかもしれません。」


11年前の自分、こんにちは。


カッコの中の見出しや文章はこのブログを書き始めた11年前、3回目の投稿をそのまま引用した。少しリメイクするかと思ったけど特に必要無く思えた。上の文章を書いたのが36歳で今47歳。考え方はブレてなく、今を予言する様な表現に少し自信を感じた。


11年前の過去にもあった新世界。


創ってみて10年続けた。そしたら今とんでもないコトが起きて、また創ろうと思ってる。もう出ないだろうと思っていた「執着ぐらいのエネルギー」も出た。ただ、11年前の僕になかった感覚が一つだけあるとすれば、今は「経営者」として創ろうというコト。


11年前の自分に教えてもらった。


足りなかったのは経営をやる者としての覚悟だったかなと。現場が好きだったし、現場が自分の存在意義だと思ってたから社員と一緒に現場と経営を両立させて創れると思った。もちろん間違いではなかったけど10年もやってると経営感覚という手触り感も学ぶのだ。


「『頑張る』という雰囲気を具体的に進めましょう。」


これも11年前の3回目の投稿の締めに書いてた。変わらんなぁと思わず笑う。11年前の君の言う通りハートの現場が抽象論である事を今の僕は否定しない。そして経営は具体論。新世界に向かう出口戦略に社会が欲しがるのは具体論であることも否定できない。


11年前の自分の文章を読み、過去の自分と向き合ってみるという方法が、とても刺激的な方法だと感じた。新世界の材料は過去の自分。そうか、これもまたこのブログの新世界かもしれないな。

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