普通に自分で48歳、気づけて社長で48歳、その違い。

組織にスジを通す方法に気づいたか、チームの育成方法に今少しばかりの手応えを感じている。これまでを振り返る。悪い意味でなく自分の代表力量の反省点として、一人一人の意識に頼る組織構築感には限界があり、結局人はルールがあった方が生産性が高くなるということが今現実論として手応えがあるのだ。理想は個人の価値観や意識が組織と同調しているコトで「組織個人型」の様な思考や行動ができるコトなのだが、経験上ここは非常に少ない。同調はとてもハードルが高い意識で、組織を自分ごとで考えられるこの手の人は、常に組織の一定の割合(全体の2割程度)を超えない。そして、8割方の人は個人の基準を組織の基準にしたがる。ここは、覚悟なく時間とお金が無くなっていってしまった個人技型の層で世の中結構多く見る人たちなのだが、結論的に言えばたとえばエースで4番だらけのチームはそもそも「勝ち」が「価値」にならないというコトだ。遠くまでボールを飛ばせるか160Kmのボールを投げれるかは、その人に外部が与えるチヤホヤのポイントとしてとても価値高いコトなのだが、それは試合の勘所に必要であっても勝ちに不可欠か?といえばそうでもない。年間150試合のプロ野球におきかえれば160Kmのスピードボールで三振を取る機会は、全試合、全イニングを通してほんのわずかしかないってコトだ。そして、そこが理解できる人は組織個人型で全体の2割に入るのだが、それはそこ、この国の働き方歴史的構造上、組織の組織個人型を3割4割に増やすことは経験的感覚において不可能だというコトに気づく。要は、2割8割の理論を48歳になって今ようやく真実味を持ってわかった社長になったというコトを言いたいのだ。つまりはそれが手応えなのだと言いたいわけだ。

一般論で言えば、48歳、いいおっさんである。

冗談めかして言うが後は死ぬだけであり、人頼みに生きていれば何もかも無くなるまで、この国の基準を踏まえて健康で正常なら48歳で残り12年。ただ、こいつが社長さんという立場になると。48歳で国の基準を踏まえれば「早くに気づいたね」なのかもしれない。改めて思う。社長であることを受け入れ肯定すれば苦労して費やした時間と金が残ろうが残るまいが結果「価値」になる。たとえばだ、48歳の僕が今ゼロから組織を創ろうと努力しても12年は「秒」だ。しかし組織にスジを通す方法に気づいたそこの社長が今年48歳ならこれはかなりなスピード感を持ってここまで来た感じで手応えを感じてる。

2020年はコロナや災害多発と世の中ややこしくなり、48歳のスタートは惨憺たるものだけど、だからこそ夢叶えるやりがいだと思えるコトに気づいた手応えってコトだな。

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