スキルのある人のネットワークの中に居るんだよ。

実は「スキルの持ち主のネットワークの中に居る」という事がわかっているコトが大事。わかってないとハリボテの自分が本物の様な気分になるのかもしれない。


経験上、自分の行動の背景としてあった過去の感覚を整理しておきたい。


将来的構想の観点では、野心、使命感、理念、直感力、想像力、洞察力、判断力、危険をおかす力、不連続的緊張を自らつくりだす力。また、意思決定と執行管理の観点では、包容力、人間的魅力、人柄、倫理観、道徳感、システム意思、時間の有効活用、計算感覚、統率力、リーダーシップ能力、責任感、連続的緊張に耐えうる力。


経営をやる時はそれが全部必要で、一個でも欠ければ経営のリスクは跳ね上がる。


そこに加えて言うなら、起業・経営には自覚と天賦と努力が必要な要素か。僕自身の個人的見解として、利己的な時間感覚であったりケチで自己犠牲を嫌がるウチはそもそも入口が違う感覚で見る。金を貯め、金を持てば起業や経営を始める事はできる。しかし、起業して経営を『続けていけるか?』というコトとは同義ではない。始める事だけ考え、続ける事を考えてないウチは残念ながら話が甘過ぎて頂けない。


最初から備わってる訳でないから、起業・経営的感覚とは走りながら備えていくものという発想も間違いではない。ただ、僕が言いたいのは「感覚を走りながら備えていく」という事の自己犠牲感と戦えるだけの心の強さを持って臨まないと、体を壊すか心を壊すコトに帰結しやすい。僕はそれを「人生経験における部分的無知」の結果と思っている。つまり生きてきた中で、挫折感や敗北感、疎外感や劣等感など人違う事を人以上に味わう事なくなんとなく順風満帆に生きてきた人に多い感覚だと思ってる。


ここもまた個人的見解ではあるが、実は自分自身が「スキルの持ち主のネットワークの中に居る」という事がわからない部分的無知の自身に気づかない者が、始める事だけを考えて、続ける事を考えず起業し経営を始めると概ね上手くいかないか頓挫する。そして僕はそういう者も見てきた経験があるから「自分が休まないし休めない」と思うのだ。


何を今更と言われるかもだが、今更だから今僕は経営学を学んでいる。


勉強は、現場的実態感で表現できなかった考えや感覚を、的確な書物で言葉として理解し自分の中にストックする。たとえば、書物の大事なページをイメージの中で破り、体の中のたくさんの引き出しに潤沢なスペースで収納していく様な感覚的な学びを蓄えるのだ。


新社屋を生み、創ろうとしているから、今はその時間が一番楽しい。


48歳になってまだ何か目指す先が言葉にできている事を幸せに思う。


若い時、理学療法士を目指した時の様に。


48歳になり、経営者になるコトでプロを目指せる人生が素晴らしい。

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