自分で自分を描いてみる。

彼は一週間か二週間おきに、その期間の人生を振り返り、備忘録を書きながら反省するコトに忙しい。知識不足と嘆いてみたり予測が甘いと反省したり、行動の量が足りないと焦ったり。整理整頓がモットーらしきオジサンは、48歳だがまだ非効率に生きる様を窺う。


会社の全体は割とよく見えている。無能な経営者の様に細かいコトに気づかない風でもない。細かいコトを気にしないという風に気がけているようで、周囲がそれに気づいてないだけだ。それがゆえ、彼は車の並びやゴミの捨て方、天井の角の蜘蛛の巣が気になって仕方ない。


常に頭の中で大改革をしてるのだろう。48歳で古ぼけず人より少し新しい感じが伝わるのは、改革が彼の新陳代謝をギリギリの所で維持する恒常性の条件なのだと察する。他人が定年までに働く時間をとうの昔に過ぎて働く彼の姿は滑稽だ、誠にご苦労様である。


欲が薄い。金と休みに欲が無い。金と休みが不要とは思ってないが、困ったコトに余暇が下手なのだ。金と休みの使い方を知らない。金と休みも仕事で、仕事は終わるためやっているから質(タチ)が悪い。金と休みが欲の一般人と合わぬだろうなぁという所が不憫だ。


仕事に必要な勉強の仕方を知ってるので新しいモノを使いこなす。自身は歳で覚えに少々ガタつきアリと思ってるが、なにそれは扱う量と幅が日々増えてるだけの話。同世代の普通のオッサンが生きる範囲で捌く量と幅と責任とは比べ物にならない。


自由とは苦労を差し出すコトとその意味を知っている。周期的に可哀想なぐらいの苦境に立たされているが、意識的に楽天的に物事を考える術を持っているので、社長業には向いている。ただ本質はナンバー2であると自覚してる。誰か為にが一番力を発揮する。


敷居が高くないので勘違いされやすい。どこをどう考えれば同列かと理解し得ない輩が同列の素振りをする。見る度思う、礼儀知らず。当人、上下左右を気にせずのアホだが、その周囲もまた、彼の範囲から出た時のコトを想像し得ない輩を見て呆れる、この街には特に多い。


最近になってどうやらまた腹を括りなおした様で、協働の経営学を学び、人の教育はヒューリスティックで、人集めは育成と発掘を繰り返しであるコトを良しとした。また、同一性を持つ者は希少で、多くは契約と交渉だと府に落とす。今後、彼は更に深く学んで実践するだろう。


とりあえず今日は何をやるのかと思ってみていたら、先ずは駐車場の看板を思案するらしい。


無駄の多い人だ。

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