おっさんは覚悟だ。

48歳のおっさんが20年後を語るはおこがましい。20年後は68歳だから下手すりゃこの世にもういない可能性もある。超特大の台風が来るって時にこんなブログ書いてる場合でもないけど、つまりは台風が来たので20年後を見据えた今年の予定に余念がない。


8月末までに採択の結果が二つ来た。今月、実務の実入は減ったが、先の仕事の成果は入った。今後、個々の成果が質高くなる可能性もあるだろう。会社でどのくらいの人がこの結果を理解できるかどうかは別として、理屈を整えるに必要なパーツは一応全て揃った。


老眼がひどくなり明らかに若くないコトを自覚したら、自分に残る時間が有限である事を強く意識する様になった。有限な時間を意識すると日々がとても大事になる。1分1秒無駄にしない様に、今、何かを残そうという思いで面倒に忙しい日々が在る。


37歳から社長を始めて死ぬほど苦しい経験をする。今は「経営の知見」という価値に気づき、社長であるコトの覚悟を味わえる48歳になる。今、一番大事な経営の指南書、林先生の著書を常に持ち歩き、経営とはを常に考えていられる48歳の「覚悟」の環境を本当に幸せに思う。


同世代を見て暇に興じる写真の洪水に関心が無い。自己を犠牲にせよと言ってるのではない。ただ、金や暇や遊びが足りないとの不平不満は覚悟の不足だ。利己主義の常識は会社に無意味で、知識や実力無き欲は人の足を引っ張る。組織の病いを学ぶ点で経営学は本当に奥が深い。


経営学は、他人の問題でなく自身が進化の覚悟を決めた時に有益な学問だ。今、僕は、病気やケガをしたくなく、体は余暇を求めない。時間が有限な中で、機会は進化し、関係は変化し、空間が覚悟の産物との意味が解った今、僕は人生で一番に仕事や人事がしたい時期にある。


結局僕は、社長業を始めて11年、無我夢中で走り、巡り巡って元の位置に戻った。


面倒臭い幸せを感じる様になった48歳は、自分が、社長として経営者として個人や組織、地域や社会と向き合い、社員と共に会社を通じて「機会」「関係」「空間」を創造するってコトの本当の意味を、ようやく理解できている。その理由は「覚悟」が追いついたからだ。


当時は覚悟が不足していた。ごちゃごちゃの一枚を伝えるためには「覚悟」が必要というコトを知らなかった。だけど今、ごちゃごちゃした整理の仕方でも人に伝えられる様になったのは多分、11年間毎日、台風に備える様な覚悟を積み重ねて生きてきたからだ。


結局、おっさんは覚悟だ。


それなりに頑張ってるという偉ぶりたがりのおっさんはやたら多い。


しかし、覚悟のあるハイスペックなおっさんは少ない。


そんなおっさんこそ、本当におっさんずラブだ(←ここだけは相当にダサいが書く)。


頑張ってるを主張しても、覚悟が無く、責任を避け、自分優先でとっと逃げていくおっさんはオーラが無いので存在が見えない。要所で存在が見えないから選ばれず、選ばればいから機会も無い。現役人生の残り時間が少なければ機会の確立は宝くじとなるだけだ。


覚悟してるおっさんは、覚悟の無いおっさんを見抜くぞ。


20年後のビジョンには、死んでるかもしれない48歳のおっさんの覚悟が不可欠だからだ。

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