新世界編と称して綴るこのブログテーマは、しつこいぐらいに40代最後の2年間の生き様。気力、体力は円熟を自覚するが、現実的なところでまだ未熟で時間と忍耐も要る。とにかく、目標を高く置く40代にして人知れず自分の人生に勝手な区切りをつける2年間と決めている。
社会は病気で強引に過去と決別させられた。人と人の間にデジタルが割り込み、瞬く間に「そんな時代だ」という感傷を広げた。物理的に広がるデジタルはまだ先になるのだろうが、日常はデジタルに関わらざるを得ない感覚を突きつけられ、便利なハズのモノを社会は不便と感じてる。
仕事も同じだ。僕が2014年に創り始めた頃、デジタルなんて誰も言わなかった。けど今は活用の幅を広げ商売になりそうだと名前を呼んでくれる人がやたらと増えた。数年前「ア」や「リ」の字を否定していた輩が、今「ア」だの「リ」だのとやたら言う姿が滑稽で、なんじゃいそりゃとよく思う。
金の付きそうな仕事に乗っかりたい人は多い。当然、面白くて見返りがあって有意義だから、実力も努力も要らずデキる気分で風が切れる。ただ、そんな場当たりの金で動く人の下には、結局金が残る気配がしない。流行病とデジタル社会の関係において、最近それをよく思う。
この年になると「あ、お前、金が目的だな」とすぐわかる。その瞬間、その人の過去から信頼を随時引き算してしまう。信頼の貯金は大事で、そういう時に信頼の貯金が不足してると信頼の「赤字」になる。信頼の赤字に気づかない振る舞いは、それが若くても社会では「老害」と呼ばれ更にタチが悪い。
若さあって金が無いのは当前。起業しても口座に金はそう増えず、いくら書いても補助金は当たらない。ただ、金に苦しむ時に逃げずにその場に止まった者は、確実に他者の信頼を得る。人が出来ない我慢をしたからだ。つまりは損得勘定の人間は人生の信頼をドブに捨て、自己犠牲を厭わず得た人生の信頼は、いずれ必ず徳と得を呼ぶってコトだ。
これ、若いうちはホントにわからんのだが、年を重ねるとよくわかる。
先日の会議の時に思った。こんな、まだ金になるのかならんのかもわからん様なシロモノに、たくさんの人とそのキャリアが集い、初対面でも信頼の持てる同士で「ア」ですよね「リ」ですよねと話してくれていた。徳の先に見える得は、やはり最初は金でなく「信頼」あっての物種だとつくづく思う。
そういうコトで、会社は純度を上げるタイミングに来てると感じる。自動的に進む僕の残り2年で最も重要な仕事は「人集め」だ。ハコづくりはあくまで手段だ。ハコを生むプロセスを通して一人一人の信頼貯金を見極め、適材適所の人事をやるコト。それが20年先を創る社長の仕事だ。
金金金と言う輩は大嫌いだが、自分も社長で売上売上売上というのでこれはやむなし。
なので僕は「信頼貯金」の多い社員と一緒にこれから先の20年を創りたいと願うのだ。
僕は残り2年を切っている。だから、信頼出来んなと思う者とはやっぱ無理なのだ。
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