名前を呼んでもらえて。

音楽や映画や舞台が好きで、自分で楽器も弾いたりしたが、残念ながら僕に才能は無かった。好きなコトは下手の横好きで全部中途半端だが、趣味は何かと聞かれれば芸術だと答える。

文章を書くのも好きだ。国語や英語は苦手だが自分の頭の中を表現するコトは少し上手いと思う。作家は49才の最後の日にペンネームを付けて短編から始めるつもりで着想も少しある。

仕事は休みの日も休まない。人から見れば仕事だけの不憫な人生に見えるかもだが本人は人より充実した人生だと満足している。僕の趣味は仕事に活き、仕事は趣味でやれた。


そう、僕の人生は「創り出し続ける」人生。


せいぜい四半世紀の振り返りの中で0を1にする場面がホント多かったと思う。空間を創り、機会を創り、関係を創る。人が街が喜ぶ素敵な音楽と楽しい会話を創りたくて続けた。

人との関係の中で多くを学んだ。大所高所の視点のある経験者達との出会いが今の僕なりの安定感を創る礎になったと思うし、彼らの信頼を得る為にやった仕事は今社会の信頼になった。

人は色々いる。聞いてた話と違うぞという人が居る。そういう人は概ね最初に言ったコトが出来てない人だ。創り出し続けていると人の器の大小もそんな感じで測れる48才になれた。


40代の着地に向かう人生の今時期、僕は割と満足出来てる。


仕事は「これとこれとこれ」と言える様になった。人に8割満足できている。足りない2割をこれから補う。お金と情報はもう少しだが、本当にもう少しだと思う。

自分と他者で幸せ不幸せを比較しない。ナルシズムを他者に押しつけ慰めを求めない。人知れずブログに考えを綴るのは、その時々の自分と向き合い人生の着地点を探し続けるため。

せいぜい四半世紀。でも、その短い人生の時間を振り返った時に「創り出し続けてこれたな」という実感を持てるコトがこんなに満足できるとは思っていなかった。


満足していいんだ。


僕は今、自分がこれまで創り続けてきたことに満足していいタイミングに到達したと感じる。そして、ここからもっと仕事を伸ばしてくコツが「自分が満足するコト」だと感じる。

創り続けけるコトを諦めなかったから、今、たくさんの人が僕の名前を呼んでくれる。今まで知ることも無かった遠くの街の人がその可能性を感じて僕の名前を呼んでくれる。


創り出し続けた者として、名前を呼んでもらえるコトほど幸せなコトはない。


創り出し続けたから、名前を呼んでもらえる所まで到達できたコトが幸せだ。


僕の人生は「創り出し続ける」人生。

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