最終的に、大人。

社長業のモチベーションって何と聞かれるコトがあり、有耶無耶や理由をはぐらかした。本音を言えばやはり同年代と比較した時の自分自身の優越感であるコトは間違いないのだが、一応身の丈は知っている。自分より高い層は山の様にある。よって表向きにモチベーションを表現するエピソードと裏側の動力となるストーリーは異なるコトを自覚してる。


年齢とは非常に怖いもので、特に今年など一年は秒。業者の方からの貰い物のカレンダーを並べ、次の年の3月という日付を見る。40代、ここまでくると悪あがきはしようとはもう思わなくなるけど「この年になって、もし何も残してなかったら…」そう思うとゾッとする。ライフステージの話でなく、あくまで「仕事で何を残したか、残そうとしてきたか」という話だ。


理学療法士だと、順当にいくとスタートが21才が22才。定年60歳として中央値は41才だから労働者ならそこから時間は減っていく。だから常に意識した。35才で自覚しないと40代で残し始められない。41才までに何かを残し始めたら間に合う。そして本当に残る何かを創るに10年要る。10年やれるモノと出会えたら40歳代で何か残せる。僕は常にそう考えてきた。


40代の終わりがハッキリと見える歳になり今痛感するのは、目に見える何かを残してないと、本当に惨めだというコト。残してないと「過去」しか無い。だから過去の輝きでしか戦えない大人になる。これは非常に弱い。40歳代で未来に向かう現在進行形の仕事が創れてないと自分自身を変えられる見込み無く「最終的な大人になれない大人」で50歳代を迎える。


もちろん人それぞれ価値観は違う。僕は勝手な優越感を持つが、だからと言って他人を否定はしない。人それぞれの人生、人それぞれの価値観、残すとか残さないとかそんな事そのものに意味を持たない人だってたくさんいる。それで結構だ。ただ、僕は残さない人生が嫌だったし、人に、家族に、仲間に、何か残せる自分でありたいというのが自分の基準だっただけだ。


僕は今の自分でよかったと思う。何かを残すコトに向き合えてると思うからだ。


自分の思う通りの人生が送れている。人がしない苦労を背負ったが結果、残せた。


ハッキリ言えば残せて無い人より、残せている自分で自分勝手に優越感も感じれる。


iTherapyやり始めたのが7年前で今僕は48歳。ギリギリ間に合ってたというコトだ。

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